苦難をとおして神様の御国の中へ(「使徒の働き」14章22節)(その2)
「敵は私の命を地に打ち砕きました」(「詩篇」143篇3節)。
要するに、敵は栄光をまとって生きており、
社会の上層部を独占して威張っています。
彼らはそうした外見にもとづき、
人々の見ている前でも目立つ上座にのぼります。
それゆえ、私は完全に屈服させられ、
人々の目には見捨てられ蔑まれた存在とならなければなりません。
なぜなら、こうした御言葉によって預言者は、
恵みとキリストの中に生きている人が
いかに取るに足りない存在に見えるか、
示そうとしているからです。
その人に敬意を払う者は誰もいません。
その人は皆の侮蔑の対象となり、
「役立たずの失格者」、
「人々がふつう行うあらゆることに関して危険極まりない人物」
というレッテルを貼られます。
このような目にまだあったことがなく、
その人の善い行い、言葉、決断、計画を
「無用の害悪だ」と嘲笑する敵がまだいない人は、
実はまだキリストの御許に来てはいません。
ただし、「自分自身」が自分の敵になって、
本来なら他の敵がその人に対してやるべきこと(侮蔑など)を、
自分に対して行う場合には、話は別です。
その時、人は、
自分のあらゆる善いわざ、言葉、仕事、生活、そして自分自身を
「役立たずの道化」とみなすでしょう。
そして、心から正直に、また徹底的に、
自分をそのような者としてとらえることでしょう。
この世の王国、つまり悪魔の王国は、違反と罪と永遠の滅びの王国です。
しかし、キリストの王国は、義と恵みと平和と永遠の命の王国です。
私たちはこの王国に、主イエス・キリストをとおして移されているのです。
あなたは、もしもキリスト信仰者でありたいと望むなら、
宮廷服に着替えなければなりません。
しかし、キリストは宮廷の臣下に「苦しみ」という服以外は賜りません。