2013年3月6日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 善きわざは信仰の行いです(ヨハネによる福音書14章12節)(その2)



善きわざは信仰の行いです
(「ヨハネによる福音書」1412節)(その2)

 
 
キリストが
何かを行われたり、苦しまれたりすることを見たり聞いたりする時、
キリストを、そのわざと苦しみとを全部含めて、
「あなた自身のもの」とみなしなさい。
そうすれば、あなたは、
あたかも自分で一切を行ったかのように、
キリストとみわざすべてに確信を持って頼ることができます。
  
  
善きわざをやり始めた者が救われるのではありません。
善きわざを行い続ける者が救われるのです。
嫌々ながら一二度善いことを行ってみても、たいしたことはないからです。
たゆまずに善いことを行い続け、
それに対して感謝されず、
逆に悪い仕打ちを受ける場合にも、
疲れ切ったりおびえたりしないことこそ、
辛く困難なことなのです。
  
  
「賜物」としてのキリストは、
あなたの信仰の栄養であり、あなたをクリスチャンにします。
「模範」としてのキリストは、
あなたを行いへと訓練します。
行いがあなたをクリスチャンにするのではなく、
すでにクリスチャンとされたあなたから行いが出てくるのです。
賜物と模範が互いに遠く隔たっているように、
信仰と行いもまた互いに遠く隔たっています。
信仰には何も「自分のもの」というのがありません。
あるのはキリストのみわざと命だけです。
それとは反対に、
行いには何かあなた自身から出てくるものがあります。
しかし、
それは「あなた自身のもの」であってはなりません。
あなたの行いは「隣人のもの」でなければならないのです。