2013年3月18日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 隣人を愛しなさい(ルカによる福音書10章27節)(その4)



隣人を愛しなさい(「ルカによる福音書」1027節)(その4)
  


「きれいな心」は、奉仕する心であり、
皆によいことなら何でも与えていくような心です。
神様は誰をも区別なさいません。
私が隣人を愛することを、神様は望んでおられます。
そしてそれは、
私の隣人が、友か敵か、義人か悪人か、
にはかかわりがありません。
たとえ隣人が私を傷つける悪人であったとしても、
その人が「私の隣人」であることにはかわりがありません。
言うまでもなく、
義人は多くの人から愛されて、
その人の周りには自然と人が集まってくるものです。
それとは反対に、
悪人は嫌われて、
誰もその人に寄り付こうとはしないものです。
しかし、これは、まだ「肉と血」[1]であって、真の愛ではありません。
この世とは異なり、
キリスト信仰者の愛は、人に左右されるものであってはなりません。
逆に、キリスト信仰者は次のように言わなければなりません、
「私はあなたを愛しています。
しかしそれは、
あなたが義人だからでも、あるいは悪人だからでもありません。
私の愛は、
自分自身と同じように隣人を愛するように、
と私に教えてくれた御言葉に基づいているのです」。


「憐れみ」とは何か、誰でもよく知っています。
それは、
隣人に不幸が訪れた時、
あたかもそれが自分の身の上に起こったかのように受け止めて、
苦しみを共にし、できうるかぎりその人を助けようとする心のことです。
ですから、隣人の窮乏と危機にのみ目を留めるようになさい。
そうすれば、まもなく、憐れみとは何であるか、わかってきます。
もしもあなたが神様に仕えたいと思い、
神様が喜んでくださる働きをしたいのなら、
ファリサイ派の人々がやるように自分自身の罪から逃げ出したりはしないで、
隣人の中に留まり、助言や、警告や、懲らしめや、慰めを彼らに与え、
また、彼らに対して忍耐をもち、教えていくべきなのです。
 

[1] 人間的な弱さに基づく行為のこと(訳者註)。