2012年6月11日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 命の泉 (ヨハネによる福音書4章14節)(その2)


命の泉 
「ヨハネによる福音書」4章14節のルターの説明(その2)
  
   
聖書から、
キリストより少ないものを見いだした時にはいつも、
私の魂は満たされませんでした。
聖書から、
キリストよい多いものを見いだした時にはいつも、
私はかつてなかったほどに貧しくなりました。
ですから、私が確実に言えるのは、
神様の聖霊様は、
イエスキリスト、
しかも十字架につけられたイエスキリスト以外のことについては
何も知らないし、
また知りたいとも思われない、
ということです。
  
  
キリスト教の教えの最初の部分は、
心で罪を悔い己を知ることです。
教えの次の部分は、
「救いにあずかりたい人は、
救いは行ないによってはえられず、
私たちが御子において活きるために
神様が独り子を世に遣わされたおかげである、
と知ることです。
  
  
私は、聖書を研究することによって、学識を得て、
他の人に説教するほどまでになるかもしれませんが、
それは私自身を少しも助けてはくれません。
もしもキリストを見いださず知りもしないならば、
私は、救いも永遠の命も知らないままだからです。
そう、私は苦しい死を見いだすことになります。
人間は、
イエス様の御名以外の他の名によっては
決して救われることがないように、
愛する私たちの神様はお決めになったからです。
  
  
神様は、
私が傷ついているときには「軟膏」、
私が病気のときには「偉大な医者」、
私が貧しいときには「富」、
私が飢えているときには「命のパン」、
私が喉が渇いているときには「命の水」です。
神様は、
私が裸のときには私に服を着せてくださいます。
神様は、
私が暗闇の中にいるときに「私の太陽」、
私が揺らいでいるときに「私の岩」、
私が悩みで心が荒れ狂っているときに「私の静かな港」、
私が責められているときには「私の弁護者」です。
あらゆる状況において、
神様は私のすべての必要を満たしてくださいます。