2012年4月11日水曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ローマの信徒への手紙4章18節

 
アブラハムは希望がなかったにもかかわらず、希望をもちつづけました。
(「ローマの信徒への手紙」418節)
  
 
私たちは「キリストの肉(身体)」という
至聖所の垂れ幕の守りの中に生きています。
この垂れ幕は私たちにとって、
昼間は雲の柱、夜は火の柱になっているので、
神様は私たちの罪をごらんにはなりません(「出エジプト記」40章)。
たとえ自分の罪がつい目に付いてしまい良心がおびえたとしても、
いつでも私たちの仲介者、仲裁者なるキリストの守りの中へ急いでいけば、
私たちは救われます。
このキリストを通して、私たちは完全無欠なのです。
キリストにはすべてがあるように、
私たちにもキリストにおいてすべてがあるからです。
このように信じるとき、神様は、
私たちの中にまだ残っている罪の廃物に対して目をつぶり、
あたかもそれが存在しないかのように覆い隠してくださいます。
神様は言われます、
「あなたは私の御子を信じているので、
あなたの中にまだ残っている罪は赦されています。
そして、最終的には死を通してそれから完全に解放されます」。
しかし、あなたはこう言うでしょう、
「自分の中に罪がありそれを感じている私のような者が、
どうして義であり聖でありうるでしょうか?」。
あなたが自分の罪を知り、それを感じているのはよいことです。
それについて神様に感謝し、絶望に陥らないようにしなさい。
健康になる第一歩は、病人が自分の病気を知り、それを告白することです。
しかし、どうすれば罪から解放されるのでしょうか?
お医者様キリストのみもとに急ぎなさい。
キリストは打ち砕かれた心を癒し、罪人を救ってくださいます
(「詩篇」1473節)。
「キリストは罪人に対して怒っているぞ」
などと言ってくる理性に惑わされてはいけません。
理性を殺して、キリストを信じなさい。
こうすれば、あなたは助けを受け、義とされ、聖なのです。
なぜなら、あなたはキリストに、
全能でいつくしみ深く真実に満ちたお方としての栄光を帰しているからです。
「神様は義であられる」とあなたは告白し、神様を賛美します。
言い換えれば、
あなたは神様に神性およびすべてのものが属することをを告白するのです。
あなたの中にまだ残っている罪は、あなたに対して罪とは認められません。
それは、あなたが信じているキリストのゆえに赦されます。
キリストは完全に義なるお方です。
そして、その義はあなたのものであり、あなたの義はキリストのものです。