2012年3月19日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ルカによる福音書5章5節

 
シモンは答えてこう言いました、
「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。
しかし、お言葉ですから、網をおろしてみます」。
(「ルカによる福音書」55節)
 
  
これはすばらしい信仰のあらわれです。
ここでのペテロのように
自分の考えにいっさいとらわれずに、
ただ御言葉のみにしっかりとつながることができるなら、
どんなによいでしょうか。
主人が召使に「これをしなさい」と命じて、
召使がその通りにするならば、
主人はそれを喜びます。
たとえ召使が失敗しても、
主人はそれで怒ったりはしません。
しかし、それとは逆に、
もしも召使が主人よりも賢くあろうとし、
「ご主人様、それはだめです。
私も前にやってみましたが、うまくいきませんでした。
だから、私はそうしたくありません」、
などと言うならば、
主人の機嫌を損なうことになります。
それゆえ、
私たちが神様と御言葉に対して
ここでのペテロのように接することを、
神様はすばらしい栄光とみなしてくださいます。
そして、
たとえ理性がいまだに私たちを他のほうに向かわせようとしても、
私たちは立ち止まり、こう言うのです、
「理性よ、お前はあちこちに揺れ動いているが、
ここに神様の御言葉と戒めがあるのだ。
そこに私はとどまりたい。
そして、こうして御言葉にとどまれるならば、
私たちの主も天の御使いたちも皆喜んでくださるのだ」。