私は次のことだけをあなたがたから訊きたいのです。
あなたがたが御霊を受けたのは、
律法の行いによってですか、
それとも信仰をもって聴いたからですか?
(「ガラテアの信徒へ手紙」3章2節)
この証によってパウロは、
ガラテアの信徒たちが御霊を受けたのは、
律法の行いによるのではなく、
福音の説教を通してであった、
福音の説教を通してであった、
という明らかな体験を
彼ら自身否定できなくなるようにしました。
彼ら自身否定できなくなるようにしました。
パウロはこう言っているのです、
「あなたがたは、
律法を通して御霊を受けたとは言えないはずです。
律法を通して御霊を受けたとは言えないはずです。
律法の下で律法の行いをしていたとき、
あなたがたは聖霊様を一度も受けてはいなかったのですから。
あなたがたがまだ何の行いもせず実を結ばなかったときに、
信仰の説教である福音があなたがたのもとにやってきました。
それを信仰をもって聴くことを通して
あなたがたは聖霊様をいただいたのです。
あなたがたは聖霊様をいただいたのです。
というのは、
福音書記者ルカが「使徒の働き」(10章44節および19章6節)の中で、
聖霊様はペテロやパウロの説教の働きによって
御言葉を聴いた人々の上に来てくださり、
御霊を受けた人々はさまざまな賜物をいただき、
異言で話すようにもなった、
と証しているからです。
と証しているからです。
そういうわけですから、
あなたがたが何かよいことをしたり
福音の働きによって何か実を結んだりするよりも前の時点で、
聖霊様があなたがたに
信仰をもって聴くことを通してのみ与えられているのは、
明らかです」。