しばらくすれば、あなたがたはもう私を見なくなります。
しかし、
またしばらくすれば、私に会えます。
(「ヨハネによる福音書」16章16節)
あなたは自分の「しばらくの時」が必要です。
その時、
あなたは忍耐強くあらねばなりません。
キリストは隠れて退かれ、
あなたが罪や死や地獄の手中に陥るのを許されるからです。
その時には、
良心が平安を得るために何をやろうと、
あなたの心は動揺するばかりです。
キリストが消え去り、死なれたからです。
その時、
「しばらくすると、あなたがたはもはや私を見なくなります」、
という賛美歌をあなたは耳にします。
その時、
あなたはどこに逃げるのですか?
慰めも助けも存在しないのです。
しかも、あなたは罪や死や地獄の只中に座しているのです!
もしキリストが、
あなたの功績とは無関係に、
あなたのもとに直ちに来てくださらなければ、
あなたは永遠にこのような苦しみや恐れの中に
うずくまっているほかないでしょう。
もしキリストが
復活して弟子たちに顕現されなかったら、
弟子たちも体たらくのままだったでしょう。
だからこそ、
イエス様が死者の中から復活する必要があったのです。
人は皆、
この世からの別離の時に、(遅くとも)死の床で、
この苦しみを体験しなければなりません。
私たちは、
福音のゆえに火に投げ入れられ、
騒乱の張本人扱いされる時に、
この御言葉の効能を知ります。
心が強められていなければ、試練に耐えられません。
死の患いと恐ろしさを目の当たりにするからです。
どこに逃げられるでしょう?
もしキリストが来ないで、その手を退けられるなら、
私たちは滅びます。
しかし、もしキリストが私たちを助けるために来られるなら、
肉(身体のこと)は確かに死にますが、
魂には何の危害も及びません。
キリストがそれを支配なさっているからです。
この支配の中で魂は安全に保管されていて、
それをキリストの手から奪い去る者はいないからです
(「ヨハネによる福音書」10章28節)。