2012年1月23日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ローマの信徒への手紙7章4節

 
私の兄弟たちよ、
このように、あなたがたも、
キリストの体を通して、律法に対して死んだのです。
それは、
あなたがたが他の人、すなわち、
死者の中からよみがえられた方に属する者になり、
こうして、私たちが神様のために実を結ぶようになるためなのです。
(「ローマの信徒への手紙」74節)
 
  
この御言葉を口にするのは簡単ですが、
良心の呵責に悩まされている最中でも
それを正しく理解する者はさいわいです。
その人は、
罪が襲いかかり、律法が責め立て、恐怖に陥れようとするときに、
次のように言うことでしょう、
「律法よ、
お前は私を責め立て、
私が多くの罪過を犯したと証言しているが、
それが私に何の関係があろうか?
私は今でも毎日たくさん罪を犯しているが、
その事実が私を動揺させることはない。
あたかも自分の耳が聞こえない者であるかのように、
私にはお前の話は聞こえないのだ。
お前は耳の聞こえない者に語っているわけだ。
私はお前に対してすでに死んでいる。
もしもお前がどうしても罪について私と討論したいというのなら、
私の肉体や僕たちに触れてみるがよい。
それらに対して教えをたれ、訓練し、十字架につけるがよい。
ただし、私自身や良心を悩ませるな。
私自身はお前とは何の係わり合いもないからだ。
私はすでに死んでお前から分離しており、
今はキリストに対して活きているからだ。
この方の御許で私は、もうひとつの律法、
すなわち、罪と律法を支配している恵みの律法の下にいる。
何を通してそうなっているかと言えば、
キリストへの信仰を通してなのだ。
パウロが示している通りに」。