私の兄弟たちよ、
このように、あなたがたも、
キリストの体を通して、律法に対して死んだのです。
それは、
あなたがたが他の人、すなわち、
死者の中からよみがえられた方に属する者になり、
こうして、私たちが神様のために実を結ぶようになるためなのです。
(「ローマの信徒への手紙」7章4節)
この御言葉を口にするのは簡単ですが、
良心の呵責に悩まされている最中でも
それを正しく理解する者はさいわいです。
その人は、
罪が襲いかかり、律法が責め立て、恐怖に陥れようとするときに、
次のように言うことでしょう、
「律法よ、
お前は私を責め立て、
私が多くの罪過を犯したと証言しているが、
私が多くの罪過を犯したと証言しているが、
それが私に何の関係があろうか?
私は今でも毎日たくさん罪を犯しているが、
その事実が私を動揺させることはない。
あたかも自分の耳が聞こえない者であるかのように、
私にはお前の話は聞こえないのだ。
お前は耳の聞こえない者に語っているわけだ。
私はお前に対してすでに死んでいる。
もしもお前がどうしても罪について私と討論したいというのなら、
私の肉体や僕たちに触れてみるがよい。
それらに対して教えをたれ、訓練し、十字架につけるがよい。
ただし、私自身や良心を悩ませるな。
私自身はお前とは何の係わり合いもないからだ。
私はすでに死んでお前から分離しており、
今はキリストに対して活きているからだ。
この方の御許で私は、もうひとつの律法、
すなわち、罪と律法を支配している恵みの律法の下にいる。
何を通してそうなっているかと言えば、
キリストへの信仰を通してなのだ。
パウロが示している通りに」。