2012年1月16日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ガラテアの信徒への手紙2章18節

 
もしも私が自分でこわしたものを再び建てるとすれば、
私は自分が違反者であることを示すことになります。
(「ガラテアの信徒への手紙」218節)
 
  
私は福音の説教によって律法を滅ぼしました。
それは、律法がもはや良心を支配しないためです。
なぜなら、
新しい住人なるキリストが、
おひとりで住まわれるために新しい部屋へと引越して来られたので、
古い住人なるモーセは、そこから退いて、
他のところへと引っ越さなければならないからです。
しかし、
新しい住人なるキリストがおられるところには、
律法も罪も怒りも死もありません。
そこにあるのは、恵みと義と喜びと命のみであり、
キリストのゆえに怒りを鎮めてくださった、
憐れみ深く恵みに満ちたお父様のもとへと避けどころを求める
子供の心があるだけです。
私は今
キリストを追い払って、
私が福音によって植えたキリストの王国を滅ぼし、
再び律法に権力を与え、
モーセの王国を再建するべきでしょうか?
もしも私が偽使徒どものように
「割礼[1]と律法の遵守は救われるために不可欠である」
と教えるならば、そうなってしまうでしょう。
そして、
私は義や命の代わりに罪や死を再びもちだすことになるでしょう。
律法は罪のみを示し、怒りと死をもたらすものだからです。
 

[1] 生まれて8日目に男の赤ちゃんの性器の包皮の一部を切り取る、
ユダヤ人の儀式のこと。