2010年12月17日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」3月11日~15日

  
311

しかし、いったん信仰が現れた以上[1]、私たちはもはや養育係のもとにはいません
ガラテアの信徒への手紙325節)

詩篇32ローマの信徒への手紙4章で言われていることはまさしく的を得ています。すなわち、神様が罪にお定めにならない人はさいわいなのす。聖パウロは、「このように神様が罪にお定めにならないのは、キリストを信じている者たちに対してのみであり、自由意志や人間の性格やその行いのゆえではないのです」、と説明します。例としてパウロはアブラハムをあげています。アブラハムが自分の種(つまり子孫)に関する神様の約束を信じたとき、この信仰が義と認められたので



312

あなたたちを光のうちにある聖徒たちの遺産にあずかるのにふさわしい者とならせてくださった父なる神様に、私たちは感謝しています[2]。神様は私たちを闇の支配から救い出して、御自身の愛される御子の国に移してくださいまし[3]。私たちはこの御子のうちに贖い、すなわち、罪の赦しをいただいているので[4]
(コロサイの信徒への手紙 11214節)

福音は私たちに、死からへの救いと、罪から義への救いを、また、地獄やあらゆる悪からの贖いを宣べ伝えています。福音は私たちを暗闇の国から神の国へと移してくれます。これらすべてはあまりに偉大なことなので、使徒は自分がそれを言葉で表現できるとは思っていません。これ以上的確にはその偉大さを表現できないほど素晴らしく語っているにもかかわらず、彼はそう言っているのです。



313

もしも最初の信頼[5]を最後までしっかりと持ち続けさえするなら[6]、私たちはキリストにあずかるものとなっているのです[7]
ヘブライの信徒への手紙314節)

私たちの心はいつでも、信仰生活の初日を迎えている人たちのようでなければなりません。私たちの考えはいつでも、今まで一度も福音を聞いたことがないかのようでなければなりません。私たちは毎日、最初から始めなければなりません。信仰というものを特徴付けているのは、絶え間ない成長で



314

兄弟たちよ、私たちはあなたたちに勧めます。怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して忍耐強くありなさい。
テサロニケの信徒への第の手紙514節)

私はいろいろなことを学んだ博士でが、ある(信仰の)兄弟の言葉からしばしば助言や忠告を受けました。この兄弟は何に関しても自分を私と同等にはみなしていませんでした。人が危機に瀕したときに、(信仰の)兄弟の誰かが聖書から読んで聞かせてくれる御言葉は、力強くまた尊いもの。なぜなら、聖霊様を聖書から分け隔てることはできないからで


315

その次の日に洗礼者ヨハネは、イエス様が彼のところへやって来られるのを見て言いまし[8]「見なさい、世の罪を取り除く[9]神の小羊
ヨハネによる福音書129節)

この世の初めから終わりまでのすべての罪は、神の小羊の上に投げかけられました。あなたもこの世に生きており、この世の一部なので、このことはあなたにも関係があります。「私たちはキリストにあって、神の小羊にあって、罪の赦し、神様の御好意と恵み、それから永遠の命をいただいている」ともしも私たちが信じているならば、罪は私たちに危害を加えることできません。神様は私たちを愛し、憐れんでくださいますそして死や地獄は私たちを縛り付けることができません


[1] アオリスト分詞属格。独立的用法。アスペクトは一回的。
[2] 現在分詞。アスペクトは継続的。
[3] 動詞はすべてアオリスト。
[4] 現在形。
[5] 直訳は「信頼の最初」。ヘブライ的語法。
[6] eanper 接続法アオリスト。未来における可能性をしめす。アオリストは主文よりも以前の行為を表す。
[7] 直説法完了形!
[8] 現在形。歴史的現在。
[9] 現在分詞。継続を表す。