2010年12月13日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」3月6日~10日

36

肉のゆえに弱くなったため律法は無力になっています。神様は御子を、罪の肉と同じようなものとして罪のために遣わし、肉において罪を裁かれました。これは、律法の義が肉によらず御霊によって歩んでいる私たちのうちに満たされるためで
ローマの信徒への手紙834節)

与えることと受け取ることが異なり、あるいは、要求することと贈ることが異なっているのと同じように、律法と福音とは互い遠く隔たっています。この相違をはっきりしなければなりません



37

しかし、選びが恵みによるのであれば、もはや行いからではありません。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなってしまうからで
ローマの信徒への手紙116節)

私たちの救いは律法福音の両方に基づくことはできません。私たちは、信仰を通して義とされ、その結果律法の義を失うか、あるいは、律法を通して義とされ恵みと信仰の義を失うか、そのどちらかです。恵みを失い律法に頼ることは恥ずべき不幸な喪失で。しかし、律法を失い恵みに頼ることは、それとは逆に救いの幸せに満ちた喪失で



38

しかし、私にとって有益であったこれらのものを、私はキリストのゆえに損失と見なすようになりまし[1]。というわけで、私はまた、私の主キリスト・イエスを知ることがはるかに尊いことであるがゆえに、すべてを損失と見なしています[2]。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらのものをのように見なしています。それは私がキリストを得るためであり、律法に基づく私自身の義ではなく、キリストの信仰を通し信仰に基づいて神様からいただく義を自分のものとして、私がキリストのうちに見出されるようになるためで
フィリピの信徒への手紙379節)

すべてのクリスチャンはパウロと共にこう言うべきでしょう、「自分の聖さによって、恵みと永遠の命を報酬として得ようとすることは、神様の御前では、汚らしい着物に等しい」



39

私たちの父なる神様と主イエス・キリストから恵みと平和とがあなたがたにありますように。キリストは私たちの父なる神様の御意志に従い、私たちを今の悪の世から救い出すために、自身を私たちの罪のためにささげられたので
ガラテアの信徒への手紙134節)

罪の重荷があなたをおびえさせ、キリストのもとから逃げ出させようとするとき次のことを思い出しなさい。キリストは想像にすぎない罪のためにこの世に来られたのではなく、本当の罪のために来られました。小さい些細な罪のためではなく、とてつもなく大きいひどい罪のために来られました。一人か二人の罪のためではなく、人間が勝って既に取り除いた罪のためではなく、人間には打ち勝つことのできない罪のために来られたので



310

律法は罪過が増し加わるために入り込んできました。しかし、罪の増し加わったところには恵みが豊かに満ち溢れました。それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた、永遠の命へと至る義を通して、私たちの主イエス・キリストを通して支配するためでした
ローマの信徒への手紙52021節)

神様の恵みの栄光と輝きは、それが私たち自分自身に敵対するようにしたところにこそありますというのは、その栄光は、ギデオンがモアブ人に勝ったように、罪に勝つからで。このようにしては自分の敵を滅ぼします


[1] 完了形。
[2] 現在形。