「キリストを讃美しましょう」
そこで、私が切実な思いで待ち望むことは、
私がどんなことがあっても恥じることなく、
かえって、いつものように今もあらんかぎり大胆に語ることによって、
生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストがあがめられることです。
(「フィリピの信徒への手紙」1章20節)
パウロの人生には、
キリストがすべてにおいてあがめられるようになる、
というゆるぎない目的がありました。
ほかのものは何であれそれほど大切ではありませんでした。
自分自身のことを考えてみましょう。
私たちが生きても死んでも、主の御業は前に進んでいきます。
しかし大事なのは、
仕事や娯楽、苦しみや死などに対する私たちの生き方や態度の中に
周囲の人々がキリストの力を見ることなのです。
キリストの僕として働くとき、
苦難を耐えるとき、
自分の意思を喜んでキリストの御心に従わせるとき、
キリスト信仰者としての希望を持って死ぬとき、
キリストは私たちを通して人々の前であがめられることになります。
私たちの人生はキリストの栄光を周囲に輝かす鏡となります。
そして、キリストが私たちを暗闇からまばゆい光の中に招いてくださったことが
見えるようになります。
使徒と共に私たちはこう言います、
「しかし私が憐れみを受けたのは、
キリスト・イエスがまず私に対して限りない忍耐を示すことで、
私が、これから後キリストを信じて永遠の命を受ける人たちの
模範となるためです」
(「テモテへの第一の手紙」1章16節)。
(祈り)
主よ、あなたが私に身体、魂、すべてを賜ったのですから、
どうかあなたの御心を満たす力を私にお与えください。
それによって私があなたの御名の栄光となるように、
また隣り人にとって一番よいことを行えるように、
あなたからいただいた賜物を用いるようになるためです。
アーメン。
(関連聖句)「詩篇」115篇