「目印」
私はイエス様の傷跡を身体に受けています。
(「ガラテアの信徒への手紙」6章17節より)
(「傷跡」という単語はギリシア語で
「スティグマ」の複数形が用いられています。)
使徒パウロは主に仕えるときにたくさんの苦しみを受けました。
イエス様について証をしたときに石を投げられたり鞭で打たれたりしました。
暴力を受けた傷跡が彼の身体には生々しく見えました。
傷跡は彼にとって誇りであり誉れでした。
彼が身を粉にして主イエス様の御心を実行していったことを
傷跡は証しているからです。
私たちは信仰のためや真理を証するために
肉体的な苦しみを受けることはないかもしれません。
しかし、私たちの生活の中にも
自分が主に属していることを示す目印があるべきです。
純真な信仰生活、
真の自己否定、
罪が心の扉で隙をうかがっているときにも常に目を覚ましていること、
主とその御心のために自分をささげることなどは、
私たちもまた主の弟子であることを知らせる目印です。
私たちもこれらの目印がはっきり見えるように生活しましょう。
神様が私たちの信仰をイエス様のゆえに
肉体的な苦しみを与えて試そうとなさる場合にも、
しり込みせずに喜びの心を持って主の御心に対して従順になりましょう。
そして、苦しみの中でも誇りを持って活きることをパウロから学びましょう。
キリストが私たちのために苦しまれ、
私たちがその御跡に従うようにと模範を示してくださったのですから。
(祈り)天のお父様、
主イエス・キリストの傷跡を自分の身体に受ける覚悟をもてるように
私をお助けください。
(関連聖句)「コリントの信徒への第二の手紙」11章19~33節