2012年9月5日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 律法を成就されたキリスト(マタイによる福音書5章17節)(その2)


  
律法を成就されたキリスト
「マタイによる福音書」517節のルターの説明(その2)

 
 
もしもキリストが私や全世界の罪を
御自分の上に引き受けてくださらなかったとしたら、
律法はキリストに対して何の権限ももたなかったことでしょう。
なぜなら、律法は罪人のみを裁くものだからです。
しかし、キリストは
「救いの幸せに満ちた交換売買」を行ってくださいました。
イエス様は私たちの罪深さを引き受け、
そのかわりに、
罪なく勝利に満ちた自分自身を私たちにプレゼントしてくださったのです。
「キリストを着る者」[1]として、
私たちは律法ののろいから解放されています。
  
  
金の指輪に宝石がちりばめられているように、
クリスチャンの心の中には、律法の主なるキリストがいてくださいます。
  
  
キリストは、
律法に対して律法となり、
罪に対して罪となり、
死に対して死となってくださいました。
それは、
キリストが私たちを律法ののろいからあがないだして、
義とし、
罪や死から救い出して、
活きる者とするためです。
   
  
キリストはあなたを自由にするために解放してくださいました
(「ガラテアの信徒への手紙」51節)。
 


[1]「ガラテアの信徒への手紙」327節にこうあります、「キリスト(の中)へと洗礼を受けたあなたがたは皆、キリストを着たのです」(訳者註)。