2012年9月28日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その1)


信仰の立派な戦い

「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その1)
  
 
「聖書を読みすぎる」ということは決してありえません。
読んだことがらを「あまりにもよく読みすぎる」
ということはありえません。
よく読んだことがらを「あまりにもよく理解してしまう」
ということもありえません。
よく理解したことがらを「あまりにもよく学び尽くす」
ということもないです。
よく学んだことがらに「あまりにもよく生活の中で従っていく」
ということもありえないのです。
   
   
仕事をしたり、機械を動かしたり、書物を利用することは
昼夜休みなく続けられています。
しかし、聖書を紐解くことはそうではありません。
あたかもそんな必要がまるでないかのように。
  
  
聖書を一度全部読み通す程度の敬意を聖書に示す用意のある者も、
瞬く間に聖書をすっかりマスターしたつもりになってしまいます。
まるで聖書ほどあっという間に学べてしまうような書物は
この世の中には他に存在しないかのようです。
 
  
しかし、聖書には、人々が思い込んでいるのとはちがって、
人間が読み取ることができるような言葉は実はないのです。
聖書にあるのは命の御言葉のみです。
それらの御言葉は、
私たちが想像を膨らませるためではなくて、
御言葉に従って生き、活動していくためのものなのです。