「暗い谷」
私はたとえ死の陰の谷を歩むとも、
わざわいを恐れません。
あなたが私と共におられるからです。
(「詩篇」23篇4節より)
御言葉も教えているように、私たちは皆いつか死ななければなりません。
お年寄りに残された人生の時間は(若い頃よりも)短くなっています。
「主よ、私の終りと私の(残された)日の長さがどれほどかを
私に知らせてください。
私は自分がいかにはかない存在であるかを知りたいのです」
(「詩篇」39篇5節)
と私たちは祈ります。
人々の死に対する態度は実に様々です。
死を忘れるよう努める人もいれば、死をのろう人もいます。
かと思えば、死を歓迎する人もいます。
死に対して威圧的な態度を取る人もいれば、
死という定めの前にうち崩れる人もいます。
キリスト信仰者も自然と死を遠ざけようとするものです。
しかし、キリスト信仰者である私たちはイエス様への信仰にあって
「私はたとえ死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。
あなたが私と共におられるからです」
と言い切ることができます。
さらに、主の使徒と共に
「死よ、勝利はどこにあるのか。死よ、棘はどこにあるのか」
(「コリントの信徒への第一の手紙」15章55節)
と言うことさえできるのです。
イエス様の十字架と空の墓を通して、私たちは死の本当の姿を見ます。
死は永遠の光への扉なのです。
死を通して私たちは罪の桎梏から解放され、
もはや罪が私たちに染み付くことはなくなります。
私たちはずっと主と共にいることができるようになるのです。
私たちの身体もイエス様の栄光を受けた身体と似たものとされて復活するのです。
(祈り)
救いの朝がやって来ます。
死の国は威力を失います。
こうして命は死に勝ち、心臓は再び脈打ちはじめます。
アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」15章41〜57節