「私たちのさまざまな思いの道筋」
神様、どうか私を探索して私の心を知り、
私を試験して私のさまざまな思いを知ってください。
(「詩篇」139篇23節)
人の抱く思いは無意味なものではありません。
ところが
「言葉と行いがよいものでありさえすれば、
心では何を思っていてもかまわない」
と考えている人はたくさんいます。
実際には、
人が心で思っていることこそがその人の本当の姿をあらわしているものです。
いろいろな思いから、すべては出来上がっていきます。
悪い思いは人を汚し、壊します。
善い思いは人を築き上げ、高めます。
思いに従って人は活動するものです。
思いは言葉と行いが育つ元になる種のようなものです。
「油断することなくあなたの心を守りなさい。
命はここから流れ出るものだからです」
(「箴言」4章23節)。
どんなことを自分が考えているか、油断なく見張るべきです。
低俗な罪深い思いにとらわれたのなら、
それを見過ごしにはせずに「罪」として、神様に告白するべきです。
神様は私たちの心を探索なさいますが、
私たちの側からも、神様がそのようになさることを願うべきです。
そのとき、一切の事柄は神様の御前で包み隠さず明らかにされます。
どのみち、この主の御前で、
私たちはいずれ必ず人生の清算を行わなければならなくなるのです。
キリスト信仰者は
「内なる人」が聖霊様を通して力を得て強められるように、
絶えず自分自身を鍛錬していく力をいただけるように願います。
それは、
愛する私たちの救い主が信仰を通して
私たちの心に住んでくださるようになるためです。
信仰にあって「救い主のもの」として生きるとき、
私たちは「キリストの思い」をいただきます。
そのときには、
嫉妬や姦淫や疑念や憎悪や怨念といった
思いにとらわれて生きることを望まなくなり、
善い生きかたと思われる、
あらゆる面で清い生きかたをしようと励むようになります。
(祈り)神様、どうか私に清い心をお創りください。
私の中に揺るがぬ霊を新たになさってください
(「詩篇」51篇12節)。
アーメン。
(関連聖句)「コロサイの信徒への手紙」3章1~4節