「群衆」
群衆という群衆が裁きの谷に集結しています。
主の日が裁きの谷に近づいているのです。
(「ヨエル書」4 章14節)
世の救い主が苦しみを受けて十字架へと連行される時、
群衆は侮り、嘲り、悪口を言い、
「そいつを十字架につけろ!」と呪いの言葉をイエス様に浴びせました。
それと同じように
今日の多くの人々も、
老いも若きも、裕福な人も貧乏な人も、
自分が何をしているかわからないまま、
こぞって救い主を侮り、騒ぎ立て、愚弄しています。
人間の世界は根の深い不穏と動乱に満ちています。
現状に対する人々の不満は
デモ行動や流血を伴う騒乱となって世界各地で表面化しています。
こうした行動の矛先が
教会やキリスト信仰者たちに向けられるのもめずらしくありません。
例えば、キリスト教が国教である国でさえ、
討論会などの公の場所で、
好機到来とばかり神様の御言葉と海外伝道活動を侮蔑する人々がいます。
落ち着きなく騒ぎ立つ群衆は
神様の御声を聴くために立ち止まる余裕も意志も持ち合わせていません。
騒々しい反対の声を上げる群衆に囲まれて
キリスト信仰者としての確固たる態度を保つのは容易なことではありません。
しかし、聖霊様は忍耐と沈着冷静さと謙虚さを与えてくださいます。
罪の赦しの中におかれていることによって
私たちには義と平和と喜びが与えられます。
十字架に上げられたイエス様の力は群衆のそれよりも大きいのです。
神様の聖なる御言葉である福音は
不穏なこの世にあって神様の御業を行い、その力を発揮します。
私たちは神様に守っていただけるのです。
(祈り)
主イエス様、
あなたが私のことを恥と思わずに済むように、
どうか私にこの不穏な世の中にあって
あなたのことを証する恵みを与えてください。
アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」27章39~43節