「活ける希望」
イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは
あなたがたの間では何も知るまい、と私は決心しました。
(「コリントの信徒への第一の手紙」2章2節)
イギリスの比較宗教学の教授マックス・ミュラーはかつて、
世界のすべての宗教は二つに分けられると言ったことがあります。
一方には、人間が作り出した様々な宗教があります。
これらは人間自身の努力によって神様をなだめようとします。
もう一方にあるのは、キリスト教だけです。
キリスト教は、人間が自らの罪を自分の力では決して帳消しにできないことを
教える唯一の宗教です。
イエス・キリストが人間の罪を帳消しにするため
身代わりに十字架で死んでくださったことを宣べ伝える点において、
キリスト教は他に類のない宗教なのです。
罪とはたんに間違うことであると考えている人がたくさんいます。
しかし聖書によれば、罪とは神様に対する反逆なのです。
罪は、それが赦されて帳消しにされないならば、
死と地獄をもたらすものであることをキリスト信仰者は告白します。
キリストが私たちの罪のために死んでくださったことを、私たちは信じています。
キリストは罪人たちを救うため捧げられた罪過のためのいけにえであり、
罪のためのいけにえなのです。
私たちが抱えている罪の重荷は実は非常に大きいものです。
しかし、罪の赦しの御業もまた比類のないものです。
イエス様は
「聖められる者たちを唯一の捧げ物によって永遠に全き者となさいました」
(「ヘブライの信徒への手紙」10章14節)。
不義な者である私たちはイエス・キリストへの信仰を通して義とされるのです。
(祈り)
私は(罪の赦しの)恵みに、そして主イエス様、
あなたに常に信頼したいと思います。
あなたが私の罪の負債を払ってくださったのですから。
(罪の赦しの)恵みだけが、命にも死にも助けを差し伸べます。
(罪の赦しの)恵みは(私たちを)力強く運んでくれます。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」3章20~31節