「逃げ道はない」
私たちはこれほど大いなる救いをなおざりにした場合に
どうして逃げおおせることができましょうか。
(「ヘブライの信徒への手紙」2章3節より)
本当に、逃げ道などはありません。
罪深い存在である人間の救いは、
他の何ものにも代えられないきわめて切実なことです。
救いとは、
罪から、すなわち私たちの腐敗した状態から助け出されることです。
救いとは、
私たち人間が神様の義なる怒りを免れて、
永遠に続く滅びや苦しみから解放されることです。
救いとは、
(悪魔などによる)隷属状態から自由にされて、
光と平和と義と命の中へ入れていただくことです。
神様のひとり子イエス様こそが唯一の救い主です。
イエス様は律法を全うして、罪のすべての罰を引き受けて苦しまれました。
よりはっきり言うならば、
私たちのためにイエス様は「罪そのもの」となってくださったのです。
神様の御子はあらゆる苦痛に耐え、
その身体を贖罪の犠牲としてささげ、
死と地獄の苦しみをお受けになりました。
このことによってイエス様が私たちのために確保し用意してくださった救いは、
それゆえに途方もなく偉大な御業なのです。
それは「偉大な御業」です。
なぜなら、それは私たち全員に関わりがあることだからです。
それは完全で、常に変わることなく、いつでも十分に有効なものです。
それは賜物として、まったくの恵みとして与えられます。
もしも私たちがこれほどまでに偉大な救いをなおざりにするなら、
そのために下される神様の裁きはどれほど厳しいものとなることでしょうか。
この救いを拒絶し続けた者に対しては、
天と地と地獄が声をそろえて
「逃げおおせることはできないぞ」と叫ぶ時がいつかやって来ます。
その人は神様の怒りの下に留め置かれ、滅びの裁きを受けることになり、
「だめだ、やはり逃げ切れない」と愚痴を言い続けることになります。
これほど大いなる救いを誰一人拒絶することにはなりませんように。
また、全員が罪を悔い改めて、
救い主を「我が主」として受け入れる信仰をもつようになりますように。
(祈り)恵みの御霊よ、私やすべての私の愛する人々に対して、
どうかこの偉大な救いをはっきりと示してください。アーメン。
(関連聖句)「テサロニケの第一の手紙」5章1~10節