「キリストへの信仰」
主よ、私たちの信仰を増してください。
(「ルカによる福音書」17章5節より)
信仰はしばしば誤解を受けています。
「あなたにはまず信仰がなければなりません」と言うならば、
信仰はあたかも仕事や業績のようなものになってしまいます。
その一方では、
「信仰とはたんなる知識である」と考えている人もいます。
「私が救う信仰をもっているなどとどうしてわかるのか。
そもそも信仰とは一体何なのか」と問う人もいます。
信仰とは、
キリストを通して神様の愛と約束に信頼し自分をゆだねることです。
信仰とは、
私たちを罪から贖い出してくださった救い主として
イエス様というお方を正しく知ることです。
自らの良心と神様の律法とが私たちを責め立てるようなときに、
あるいは、自分自身の業績に頼りたくなったとき、
あるいは、悪魔が攻撃を仕掛けてきたとき、
私たちは信仰によってそれらから逃げ、
イエス様が成就なさった十字架と復活の御業の中に避難し、
罪の赦しという賜物をいただくことができます。
キリストを抜きにした信仰は無に等しいものです。
そのような信仰自体は空虚です。
イエス様への信仰だけが私たちを救います。
信仰はその対象によって意味を獲得します。
なぜなら信仰は、
御言葉と聖礼典(洗礼と聖餐)を通して啓示され臨在される
キリストに信頼することだからです。
信仰を通して、私たちはイエス様を自分の主として受け入れます。
信仰は神様の御言葉に常に堅く結びついています。
信仰は、御言葉がどれほど信じがたいものに見える場合であっても、
御言葉の正しさを信じます。
命の泉なるイエス様から力をいただくとき、
信仰は活きたものとなります。
「キリストの義」を着せていただくとき、
信仰はイエス様を信じる者を義とします。
信仰は神様の大いなる賜物を受け取る「手」のようなものです。
私たちは、もしも信仰が今よりももっと強かったなら、
神様からより豊かに受け取って、
神様の栄光のためにより多くの事柄を実現することができるでしょう。
(祈り)
主よ、どうか私を疑いから解放し、私の信仰を増してください。アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」17章1~6節