「与えられたもので満足する秘訣」
私は自分のいるどんな境遇の中でも
与えられたもので満足することを学びました。
(「フィリピの信徒への手紙」4章11節より)
「足ること」を知っている人は幸せです。
欲しいものを全部手に入れた人がそういう境地に至る、
というわけではまったくありません。
平安と満足感は心の状態を示しています。
使徒パウロは与えられたもので満足する術を身に着けました。
彼は「足ること」を知るために多くのものを手放しました。
たとえば、ファリサイ人としての権威、友人関係、以前の生活などです。
栄光の主イエス様と出会ったことは、
パウロの人生を完全に転換させることになりました。
怒りや迫害や侮蔑の対象となり、
しまいには殉教することになったにもかかわらず、
パウロは満ち足りた心持ちでキリストについて宣べ伝えました。
「イエス様は自分の救い主である」と信じて生活したすべての時期を通じて、
彼は「与えられたもので満足すること」の大切さを知っていました。
パウロは「自分は罪人の中でも最悪に罪深い者である」と証しました。
深い罪責感の中でパウロは
「キリストがすでに用意してくださった罪の赦し」に
完全な信頼を寄せていました。
また、キリストにおける罪の和解を
自分にもあてはまるものとして受け入れていました。
そうして彼は平安と永遠の命の希望と喜びとを得たのです。
イエス様において彼は「足ること」を知り、幸せでした。
これは私たちの場合にもあてはまります。
十字架の血によって平和をもたらしてくださったイエス様への信仰を通して、
私たちは平安を見出します。
イエス様は私たちの救いのために生きまた死んでくださいました。
イエス様を「自分の主」としていただいているとき、
私たちは人生のどのような境遇においても「真に足ること」を知り、
幸福なのです。
(祈り)主よ、あなたの中で満足し幸せに生きていけるように、
どうか私たちを教えてください。アーメン。
(関連聖句)「テモテへの第一の手紙」6章6~12節