2018年3月16日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ヨハネによる福音書」1章14節(その2)

御言葉は肉となり、私たちの只中に住まわれました。
私たちはこの方の栄光を見ました。
それは独り子が御父からいただいた栄光であり、
恵みと真理に満ちていました。
(「ヨハネによる福音書」114節)(その2)

御言葉を信じる者は確実に救われます。
なぜなら、御言葉は私たちの唯一の避け所だからです。
おびえ弱っている者の魂は人間の手によっては快活になりません。
そうなるためには御言葉が必要となります。
御言葉に手を伸ばす者は、
御言葉によって活力を与えられることを体験します。


他のすべての事柄、たとえば芸術や文学などは
昼も夜も人々の興味の対象となり、
そのために費やされる仕事や労苦には際限がありません。
それに対して、
聖書はいわば「無用の長物」とみなされ、放置されています。
聖書を読む殊勝な人でさえ、
一度読んだだけでたちまちすべてを理解したような態度を取ります。
このように、彼らの聖書に対して示す「敬意」は実に大したものです。
聖書ほどあっという間に学べてしまう芸術や文学は
この地上には他に存在しない、とでも言わんばかりです。

しかし実のところ、聖書は、
人々が思い込んでいるような、ただたんに読むだけの言葉ではありません。
聖書は命の言葉によってのみ構成されている書物です。
聖書は思索や創作のためではなく、
私たちが生き生きと活動するために書かれているのです。