2012年12月10日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 日々の悔い改め(その3)


  
日々の悔い改め(その3)
 
 
次のようなことを人が知って心から告白することは、
「悔い改めのわざ」と呼ばれます。
私たちは自分が罪の中で受胎し生まれ、
それゆえ、自然に神様の怒りの下にいる子どもであり、
自分自身のせいで永遠の滅びの中に落ちるのが当然な存在です。
また、どのような「わざ」も取るに足りないものであり、
それどころか、さらに事態を悪化させるものです。
なぜなら、本来ならキリストおひとりにのみ属するはずの事柄を
それらのわざによって実現できる、と人は考えるからです。
キリストこそが神様と人との間の唯一の仲裁者です。
この方を通してのみ、私たちには罪の赦しがあります。
他のルートによっては、人は決して罪から解放されません。
懲罰として自分を死ぬほど痛めつけたとしてもだめです。
なぜなら、キリストへの信仰によっていただけるのは、
罪の赦しであって、罪の賠償ではありませんし、
賜物であって、報酬ではないからです。
神様がまったくの「救いの恵み」から、キリストのゆえに、
私にくださる「贈り物」について、
私のような取るに足りない人間がその代価を払うことはできないし、
神様からそれを報酬として受け取ることもできるわけがありません。
真の悔い改めとはつまり、次のことです。
自分が神様の御前では呪われた罪人であることを
確信させてくれる神様の御言葉を、私は信じます。
そして、私は神様に対して耳をふさいできたこと、
神様の戒めを敬わず、詳しく調べることもせず、
その大きな命令も小さな命令も守らないで生きてきたことが
ひどい生活だったことを、心から反省します。
けれども、私は絶望したりはしません。
キリストから救いの恵みと助けを求めるよう、
私は自分自身をキリストの御許へと連れて行きました。
そして実際に、救いの恵みと助けとをキリストからいただいたことを、
私は堅く信じています。