「人間とは何か?」
私たちがまだ罪人であった時、
私たちのためにキリストが死んでくださったことによって、
神様は私たちに対する御自分の愛を示してくださいました。
(「ローマの信徒への手紙」5章8節)
私たちの生きている現代の人間には
「自分とは何か」という認識が欠けています。
この世は一見賢そうな答えを提示しますが、その答えはまちがっています。
「人間は物質的や官能的な欲求を満たすために生きている動物である」
などと言われることがあります。
また「理性を持つ存在として人間は元来よい存在であり、
自分やこの世界の問題を解決する力ももっている」といった主張もなされます。
実に恐ろしい回答です!
やみくもにそれらに追従すると、せっかくの人生が台無しになってしまいます。
唯一の正しい道は、神様御自身が提示なさっている回答に立ち帰ることです。
それは次に述べるように明瞭な回答なのです。
私たちは罪人です。
しかし、そのような私たちを神様は
御子の血の犠牲によってあがなってくださったのです。
最初の人間の罪の堕落により私たちが失った
「神様の似姿」という人間の本来の姿は、
洗礼と聖霊様によって全く新しくされて、
すでにこの人生においても部分的には修復されます。
しかしそれが完全に回復するのは、
キリスト信仰者が栄光の中でイエス様に似た者とされる復活においてです。
宗教改革者ルターによれば、
まさしく私たちが「キリストのもの」となるために、
キリストは私たちを罪と死と悪魔の支配とからあがないだしてくださいました。
そしてこれこそが「人間」に関わる真理なのです。
(祈り)主よ、私たちが自分自身を「真実の姿」として、
すなわち、あなたにお仕えしながら天国の我が家へと旅を続けている、
あがなわれた罪人、義とされた神様の子どもとして
正しく見ることができるようにどうか助けてください。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」5章1~11節