2024年9月6日金曜日

「力なき者に力を」「コリントの信徒への第一の手紙」13章12節「なぜ?」

「なぜ?」

私たちは今、鏡に映して見るようにおぼろげに見ています。

しかしその時には、顔と顔とを合わせて見るようになるでしょう。

今、私は部分的に知っているだけです。

しかしその時には、私が完全に知られているのと同様に、

私は完全に知るようになるでしょう。 

(「コリントの信徒への第一の手紙」1312節)

 

人間はいつの時代にも、人生の意味を苦しみながら問いかけてきました。

なぜ人生は重苦しく、辛いのだろう?

なぜ不公平が公正に勝ってしまうのか?

なぜ子どもたちは苦しまなければならないのか?

なぜ戦争や飢饉や悲惨があるのか?

なぜ恐れたり孤独になったりしなければならないのか?

 

答えは得られません。

人は疑問を回避したり、一切のことを偶然や運命のせいにしたりします。

苦しみを与える疑問を心の奥に押し込めて、

過激な快楽、アルコールや麻薬その他などで気を紛らわせる人もいます。

 

私たちキリスト信仰者も答えを知りません。

しかし活ける神様が私たちへの答えであることは知っています。

それゆえ私たちは主を待ち望むのです。

この世では、私たちは鏡に映して見るようにおぼろげに見ています。

しかしあの世(天国)では、すべては明瞭に見えるようになり、

種々の疑問には最終的な答えが与えられます。

 

私たちの希望の基になっているのは、

キリストのうちにある神様の愛です。

私たちにはこの世には永住できる住い(都)がない、

とキリストは言われました(「ヘブライの信徒への手紙」1314節より)。

基がしっかりしていて揺るぐことがない、来るべき住いを待ち望むように、

と私たちに教えてくださったのです。

私たちはこのことを今は希望として「見て」います。

しかし、すべてが実現して本当に見える時が来ると、

もはや「なぜ?」と聞く必要はなくなるのです。

 

(祈り)大いなる神様、あなたはすべてをよいように行ってくださいます。

ですから、解決できない謎を私たちはあなたにおゆだねいたします。

アーメン。

(関連聖句)「詩篇」70