「最後の敵」
最後の敵として滅ぼされるのが、死です。
(「コリントの信徒への第一の手紙」15章26節)
説教壇に上がったある牧師は
「これから私は聴き手の皆さんが聞きたくない説教をします」
と前置きして話し始めたそうです。
そして彼は死について説教しました。
その牧師は正しかったと言えます。
私たちのうちの多くは「死」という言葉さえ聞きたがりません。
死は恐れられ、嫌悪されています。
人々は死をめぐる考えから逃れようとします。
死は現代社会からほとんど排除されています。
葬列はとうの昔に町の光景から姿を消しました。
葬儀会社が人目を引かないかたちで万事を執り行うようになっています。
しかし避けられないことを避けるのは不可能です。
「自分もいつかは死ぬ」という事実から目をそらしている私たちは
茂みに頭を突っ込んでいるウサギのようなものです。
主イエス様は「私は死と地獄の鍵をもっています」
(「ヨハネの黙示録」1章18節より)、
また「私は復活であり、命です」
(「ヨハネによる福音書」11章25節より)、
さらに「私は活きているので、あなたがたも活きることになります」
(「ヨハネによる福音書」14章19節より)
と確言なさっています。
死の墓は私たちキリスト信仰者を永久に閉じ込めておくことができません。
「私をあがなう方は生きておられ、最後の日に必ず土の上に立たれることを、
私は知っています」(「ヨブ記」19章25節)
とヨブとともに私たちも言うことができます。
また主の使徒パウロは
「ですから、あなたがたはこれらの言葉をもって互いに慰め合いなさい」
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」4章18節)
と言っています。
(祈り)
キリストは私たちの受けるべき裁きを身代わりに苦しんでくださいました。
死によって死に勝利なさったのです。
この主の愛に驚嘆しようではありませんか。
キリストは復活なさったのです!
アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第一の手紙」15章12~20節