「後に残るものは?」
世とその欲とは過ぎ去ります。
しかし、神様の御旨を行う者は永遠にとどまり続けます。
(「ヨハネの第一の手紙」2章17節)
ある富裕な人の土地が豊かな実を結びました。
新しい大きな倉庫はいっぱいになり、
彼は「もう安心だ」と思い込んで暮らしていました。
ところが突然の死が訪れて、
彼は神様の御前に出なければならなくなりました。
主は彼にたずねました、
「あなたが用意した物は、誰のものになるのですか」
(「ルカによる福音書」12章20節より)。
この世を去る時、私たちにはいったい何があるでしょうか。
何を一緒に持って行けるのでしょうか。
地元の名士が死んだ時、
「彼は何を遺して行ったのだろう」と人々はささやき合いました。
その答えはなんと「全部」でした。
私たちに与えられている時間は短いです。
この世を去る時がくれば、
大国に10万発の核兵器があるかないかなどは何の意味もなくなります。
どのくらい私たちの銀行口座に預金が残っているか、
私たちの邸宅がどれほど素晴らしいものか、
私たちがいかなる名声を博しているか、
私たちの墓前で生前の私たちについて参列者がどのようなスピーチをするのか、
といったことは私自身とは何の関係もなくなります。
表現できないほど大きな意味をもつのは、
私がイエス様を罪人の救い主として知っていたかどうかという点に限られます。
私はイエス様のために生きてきましたか。
神様の愛は聖霊様を通して私の心の中に注がれていましたか。
救い主への純真な信仰をもって私は死の眠りに就くのでしょうか。
意味があるのはこれがすべてです。
「世とその欲とは過ぎ去ります。
しかし、神様の御旨を行う者は永遠にとどまり続けます」。
(祈り)
私のこの世での命はしだいに終わりに近づいてきています。
この世的な喜びは影のようなものにすぎません。
この世には永続するものは何一つありません。
主よ、あなただけが私のもとにとどまり続けてくださるのです。
アーメン。
(関連聖句)「ヨハネの第一の手紙」2章15~25節