「玉座の御前で」
見なさい、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、
誰も数え切れないほどの大勢の群集が白い衣を身にまとい、
棕櫚の枝を手に持って、御座と小羊との御前に立っています。
(「ヨハネの黙示録」7章9節より)
昔の時代には
王族に個人的に謁見したり王宮に住めたりすることは大変名誉なことでした。
主によってあがなわれた人々は天の御国でまさにこのような光栄に浴します。
彼らは「王の中の王」の御前にずっと居続けるのです。
彼らは立っています。
もう何も覆い隠したり恐れたりする必要がないからです。
彼らはすっかり心を開いて清々しく立っています。
神の小羊がそれを望んでおられることを知っているからです。
旧約聖書の預言者イザヤはかつて主の栄光を目にしたときに
「ああ、なんということだ。私は声を失う。
私は汚れた唇の者、汚れた唇の民の中に住んでいるのに、
私の目が万軍の主なる王を見たのだから」
(「イザヤ書」6章5節)と叫びました。
しかし、神の小羊が世の罪を取り除いてくださったので、
もう何も恐れる必要はなくなりました。
私たちは神の小羊を面と向かって見つめることができるのです。
ついに順番が回ってきて、
時間の存在するこの世界の外側すなわち永遠の世へと私たちが移される時に
「私たちは天の御国に入れていただいた。
自分の衣を洗って、小羊の血で純白にしていただいた」
と言えることほど素晴らしい言葉は他にありません。
残るは次の質問だけです。
「いつか順番が回ってきて、あなたが墓に安らかに横たわる時に、
あなたもまた上と同じように言えますか」
という質問です。
(祈り)主よ、
私たちが信仰を保って「命の道」を歩むことができるように、お助けください。
私がこの世を去る時、
あなたの御傷のゆえに私を天の御国の聖徒の群れに加えていただけますように、
どうかお助けください。アーメン。
(関連聖句)「ヨハネの黙示録」7章13~17節