「与えなさい!」
喜んで与える人を、神様は愛してくださいます。
(「コリントの信徒への第二の手紙」9章7節より)
ある牧師が
キリスト信仰者にふさわしいお金や財産の使い方について説教しました。
「私たちはまずなによりも自分自身を主にゆだね、
持てるすべてを主のためにささげなければなりません」と牧師は言いました。
すると、この説教を聴いていたある人が牧師にこう言いに行きました。
「私たちは「与えよ、与えよ!」と繰り返し聞かされています。
いつも与えることばかり。もううんざりです」。
それに対する牧師の返答は意外なものでした。
「核心をついた御意見を感謝します。
キリスト教についてこれほど素晴らしい説明を
私は今まで耳にしたことがありません」。
罪深い存在である私たち人間に対して、神様は常に与える側です。
神様は絶えず与えてくださいます。
神様は独り子イエス様を与えてくださいました。
神様は御言葉を与えてくださいました。
救い、聖霊様、信仰、新しい心を神様は与えてくださいました。
神様はあらゆる善い賜物を与えてくださるのです。
神様との関係および隣り人との関係において、
私たちは与える側でもあります。
私たちはいつも吸収してばかりいる「スポンジ」とは異なり、
いわば「管」のような存在です。
私たちを通して、
神様の多様な善性が他の人々の益となるように流れていくからです。
私たちは喜びをもたらすお手伝いをさせていただく立場に置かれています。
賜物をいただいた者として、
今度は私たちがあらゆる方法で賜り主に感謝をささげる番です。
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」
(「マタイによる福音書」10章8節)。
(祈り)主なる神様、あなたは惜しみなく与えてくださる方です。
どうすれば自発的にまた適切な仕方で与えることができるようになるのか、
どうか私たちにも教えてください。アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」25章14~30節