2019年3月15日金曜日

「力なき者に力を」「テサロニケの信徒への第一の手紙」4章11節より「仕事場で」

「仕事場で」
 
落ち着いた生活をし、自分の仕事を行い、
自分の手で働くことを光栄に思いなさい。
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」411節より)

私たちには皆、自分の仕事場があります。
たとえば、台所、教室、事務所、工房などです。

それはどうしてでしょうか。

私たちには皆、人生の使命があるからです。
しかし、もしも造り主と共に仕事をしない場合には、それは意味を失います。
仕事はそれから受ける報酬よりも大きな意味を持っています。

この世におられる間、イエス様もまた大変な仕事をなさいました。
しかし、それよりもさらに大切なのは
「神様の御子なるイエス様が御自分を犠牲にして、
私たち罪深い者、目的もなく自己中心的に生きている人々の
重い十字架を身代わりに担ってくださった」
ということです。

十字架の死に至るまで、イエス様は仕事を続けられました。
それは、天の御父様がイエス様の御業のゆえに人間と和解して、
人間の罪を赦してくださるためでした。
また、そのようなお方として
天の御父様に私たちの父親となっていただくためでした。

私たちが信仰を通して行った人生の仕事は、
天の御父様への崇敬の具体的な表現だとも言えましょう。

宗教改革者マルティン・ルターが福音の光に照らされた後で
「家事などの日常の仕事は、
それが信仰を通して神様の栄光のためになされる場合には、
神様にお仕えすることである」
ということにはっきりと気がついたのは偶然ではありません。

人々が些細なものとみなすような仕事も、神様にお仕えすることなのです。
イエス様への信仰を持って生きるとき、
自分たちの日常の仕事が正しいものだとわかります。
それはたんに生活していくための手段にはとどまらないものです。
それは救い主にお仕えすることなのです。

「救い主がまず私たちに仕えてくださった」
ということをしっかり心に刻んでおきましょう。

私たちの仕事場は、キリスト信仰者として歩む人生の「聖所」なのです。

(祈り)天の御父様、
私の活動すべてにおいてあなたの栄光と御心の実現を求めていけるように、
どうか私をお助けください。
私が自分に与えられた人生の仕事を
満ち足りて喜んで行うことができるようにしてください。アーメン。

(関連聖句)「テサロニケの信徒への第一の手紙」4912