2018年9月14日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ヨハネによる福音書」11章25~26節(その2)

イエス様はこう言われます、
「私は復活であり、命です。
私を信じる者は、死んでも生きます。
生きていて私を信じている者は、決して死にません。
あなたはそれを信じますか」。
(「ヨハネによる福音書」112526節)(その2)

私たちは最後の審判の日に備えて、その日を喜んで待ち望むべきです。
(中略)
私たちを罪と死と地獄の支配から贖い出してくださったお方を
待ち望むようにして。

神様がたたえられますように。
キリストがこの世とその専横者である悪魔とに勝利したので、
罪はもはや私たちを支配できず、
死も私たちを呑み込むことができないことを、
私たちは知っています。
このことについて、私たちキリスト信仰者は、
世の子ら(つまり、この世に流されて生きている人々)が
世俗的な繁栄や幸福や富や栄光や権力などについて感じる喜びよりも、
はるかに大きな喜びを覚えるべきところです。
なぜなら、
そのことについて証言している聖書が誤ることはありえないからです。

聖書の他にも私たちには
キリスト信仰者たることを証する明確な目印として、
聖なる洗礼と聖餐式、罪の告白と赦しの宣言があります。

キリストが私たちの花婿であることをよくわかっている人は、
黄金の技能の持ち主であり、
鋭敏な博士、救いにあずかっている人ということになります。

それゆえ、私たちは、
「主よ、私たちの信仰を強めてください!」
(「ルカによる福音書」175節)、
と熱心に祈りたいと思います。
なぜなら、必要なもの(すなわち信仰)が欠けているのは、
キリストではなく、私たちだからです。