2017年10月27日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「ローマの信徒への手紙」1章16~17節より(その2)

私は福音を恥じません。
福音は、
信じる者たち皆にとっては、救いとなる神様の力だからです。
(中略)なぜなら、
そこに神様の義が、
信仰から信仰へと明らかにされているからです。
(「ローマの信徒への手紙」11617節より)(その2)
 
信仰者が自分自身の罪から自由になっており、
神様の御前で義とされていることだけが、
神様から信仰者がいただく慰めではありません。

信仰者が神様の助けによって、
ついには悪魔や人間や世との戦いに勝利し、
死と地獄とあらゆる悪から救われることも、
そのような慰めです。

信仰者は
人間や王侯の助けなどを借りる必要がありません。
神様の高く光輝く御手が差し出され、
その高貴な奇跡のみわざを行い、
あらゆる苦境から助け出してくださるからです。


水がぶどう酒に変わる時、
新しい色がつくだけではなく
その本質がぶどう酒になるのと同じように、
人間の心も信仰がそれを新たにする時には、
質的に完全に新しくされるものです。