2017年3月10日金曜日

マルティン・ルター「活きるために」「箴言」15章13~15節(その1)

喜ぶ心は顔を明るくします。
しかし、心に憂いがあると、霊は打ちのめされます。
聡明な者の心は知識を求めますが、
愚か者の口は愚昧なことを糧とします。
惨めな者にとっては毎日が辛い日々ですが、
愉快な心はあたかも永遠に続く祝宴のようです。
(「箴言」151315節)(その1)
 

この世的な快活さは、頼りにしている蓄えが手元にある間だけしかもちません。
それゆえ、
「財産は快活にする」(ドイツ語で ”Gut macht Mut.”)などと言われたりします。
つまり、
この快活さはマモン(財産)とこの世の権力に基づいている、ということです。
この快活さは硬直した尊大さをもっており、世俗的な事柄を鼻にかけます。
しかし、キリスト信仰者は神様のみを信頼します。
キリスト信仰者には、おひとり神様のほかには
「貯蓄」も「手持ちの現金」もないからです。
神様に依り頼みつつ、
キリスト信仰者はあらゆる悪に雄々しく立ち向かい、
この世のものとはまったく異なる心と快活さを手に入れます。

もうだめだと思えるような最悪の危険の中にいる時こそ、
キリスト信仰者は勇敢であらねばならない、
ということを私たちは学ぶべきです。
武器や力に頼って大胆になり勇敢ぶるのは愚かしいことです。
それとは逆に、(武器という)確実に頼りになる防御がなくなれば、
希望もなくしてしまうからです。
ところが、キリスト信仰者は、
危険が迫る時には、毅然として希望をもちつづけるよう、
またそれとは逆に、
万事うまく行っている時には、高慢にならず畏れの心をもつように、
と命じられています。