2012年7月6日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 私の大きな罪(その2)



「私の大きな罪」(その2) 
 
 
もしもあなたがまず自分の中で、また人々の前で、
「主があなたに望んでおられるような存在」にならないのなら、
あなたは神様とキリストの中で
「自分が望むような存在」にはなれません。
ところが主は今、あなたが自分の中で
「あなたが実際にその通りであるような存在」、
すなわち罪人にならなければならない、と望んでおられます。
あなたは生まれながらに、
「神様の怒りの子」という名前や地位を与えられています。
ところが、もしもあなたが
自分はこの通りの存在であると実感したなら、
そのときあなたは神様の御目には
「自分がそうありたいと望んでいた存在」になっているのです。
すなわち、あなたは
「聖で、義で、偽りのない存在」になっているのです。
  
  
洗礼者ヨハネとその声は、
キリストよりも先に来なければなりませんでした
(「マルコによる福音書」114節)。
それは、
民が恵みを必要とし願い求めるようにするために、
民を準備して、民の罪を明るみに出すためでした。
しかし、自分が罪人であることを認めない者たちは、
まだ恵みをいただく準備ができていません。
彼らは、神様の遣わした人々や神様に仕える人々を
神様の御言葉と共に受け入れようとはしません。
  
  
「愚かさ」とは、
人が自分自身のことを知ることができず、
自分がまったく健康である、と思い込んでいるところにあります。