もしもあなたがまず自分の中で、また人々の前で、
「主があなたに望んでおられるような存在」にならないのなら、
あなたは神様とキリストの中で
「自分が望むような存在」にはなれません。
ところが主は今、あなたが自分の中で
「あなたが実際にその通りであるような存在」、
すなわち罪人にならなければならない、と望んでおられます。
あなたは生まれながらに、
「神様の怒りの子」という名前や地位を与えられています。
ところが、もしもあなたが
自分はこの通りの存在であると実感したなら、
そのときあなたは神様の御目には
「自分がそうありたいと望んでいた存在」になっているのです。
すなわち、あなたは
「聖で、義で、偽りのない存在」になっているのです。
洗礼者ヨハネとその声は、
キリストよりも先に来なければなりませんでした
(「マルコによる福音書」1章1~4節)。
それは、
民が恵みを必要とし願い求めるようにするために、
民を準備して、民の罪を明るみに出すためでした。
しかし、自分が罪人であることを認めない者たちは、
まだ恵みをいただく準備ができていません。
彼らは、神様の遣わした人々や神様に仕える人々を
神様の御言葉と共に受け入れようとはしません。
「愚かさ」とは、
人が自分自身のことを知ることができず、
自分がまったく健康である、と思い込んでいるところにあります。