2012年7月12日木曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 私の大きな罪(その3)


 
「私の大きな罪」(その3)
 
 
神様は、
御自分の恵みをへりくだった者にしかお与えにはなりません。
すなわち、
飢えている者、渇いている者、空虚な者、貧しい者、罪人、
周りからあざ笑われている者に対してだけです。
神様は、
金持ちや知者や聖人の美しい言葉や偉業などには目を留めません。
なぜなら、
そういう人たちの間では、
神様の栄光は無意味なものになってしまうからです。
神様がごらんになるのは、
最初に述べたような人たちの、
神様を願い求める心や祈りのみです。
神様は、もはや彼らの祈りを聞き捨てにはなさいません。
神様は、満足しきっている者をもっとも軽蔑しておられます。
なぜなら、そうした者は神様の恵みを慕い求めないからです。
彼らは、
自分が神様に何かを与えることができ、
何か偉大なことができるので、
その結果として(神様が)自分たちから得るはずの
賛美や栄光よりももっと多くの賛美や栄光を、
逆に自分たちが神様からもらうのが当然である、
とさえ思い込んでいるのです。


今、私たちは、
実際に所有しているものよりも多くの負債を、
神様に対して負っています。
それゆえ、私たちが神様に支払うことができるのは、
「自分が罪人である」というへりくだった心であり、
神様が義なるお方であることを告白しながら、
私たちがもっているすべてのものと
私たち自身を差し出すことだけです。
どのように神様の御心が私たちに対して働きかけるかには関わりなく、
このように神様にすべてをおささげするという態度は、
私たちがもちうる最高の義であり、
正しいささげもの、全焼のささげものです。