信仰とは希望している事柄への確信であり、見えない事柄への信頼です。
(「ヘブライの信徒への手紙」11章1節)
「感情と信仰はまったく別物である」、
と私はしばしば言ってきました。
信仰は、
何も知らず、理性で理解できなくても気にせず、
目をつむって素直に御言葉に従います。
ところが、感情は、
理性で理解できることや、見聞きできることや、さわれるものに頼ります。
このように、感情と信仰とは正反対のものです。
ですから、救いに関しては、
感情から抜け出して、素直に神様の御言葉を聞きなさい。
それを心に入れ、感情に振り回されずに、
たとえあなたが自分の罪を感じている場合にも、
その罪はきれいに拭い取られていることを信頼し続けなさい。
どう感じているか観察したりせずに、
たとえ死や罪や地獄があなたを包囲している場合にも、
実はそれらはすでに敗北していることを堅く信じなさい。
なぜなら、
たとえ罪の感覚がまだ私たちの中に残っていても、
それは私たちを信仰へと追いやり、信仰を強める結果になるからです。
こうして私たちは、
あらゆる感情や理性的な考え方に反して、御言葉を自分のものとして受け入れ、
心と良心をいつもキリストに結びつけるようになるのです。
このように信仰は静かに罪や死や地獄を通り抜けて、私たちを導いていきます。
そしてようやく、私たちはあがないのみわざを自分の目でみるようになります。
そのときはじめて、自分たちが信じてきたこと、
すなわち、死やあらゆる不幸はすでに敗北していることを、
正しくまた完全に知るようになるのです。