2011年12月2日金曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ガラテアの信徒への手紙2章16節


律法の行いによってはどの肉も義とはされません。
(「ガラテアの信徒への手紙」216節)
 

パウロの手紙でいう「肉」とは、
例の賢い連中による勝手な想像によれば「ひどい犯罪」のことですが、
それは間違った解釈です。
なぜなら、パウロはそのような犯罪にはちゃんと別の名称を与えているからです。
例えば、結婚を破る姦淫、姦淫一般、汚らわしいこと、というようにです。
パウロが「肉」という言葉であらわしているのは、
キリストがその言葉であらわしておられるのと同じものです、
「肉から生まれた者は肉です」(「ヨハネによる福音書」36節)。
すなわち、「肉」は
人間の生まれながらの性質や理性やさまざまな力すべてをさしています。
この「肉」は、
「行いによっては、さらには律法の行いによってさえ、義とされない」、
とパウロは言います。
パウロは、
「殺人、姦淫、泥酔など、律法に反する行いによっては、肉は義とされない」、
とは言わず、
「律法に基づいてなされたよい行いによっても、肉は義とされない」、
と断言しています。
つまり、ここで「肉」という言葉でパウロが意味しているのは、
人間が生まれながらにもっている場合がある、
至高の義、知恵、神崇拝、宗教性、理解力、意志のことなのです。