2011年8月29日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ガラテアの信徒への手紙1章4節

  
キリストは私たちの父なる神様の御意志に従い、
私たちを今の悪の世から救い出そうとして、
御自身を私たちの罪のためにささげてくださったのです。
(「ガラテアの信徒への手紙」1章4節)
  
「私たちの罪のために」とか「私のために」とかいった言葉に
どれほど多くのことが含まれているかよく注意して考えてみなければなりません。
さらに、「私のためにささげられた」という御言葉を
はっきりとした信仰をもって受け入れ、
それを自分にもあてはめるようになりましょう。
キリストはペテロやパウロや他の使徒たちだけを愛して、
彼らだけのために御自分をささげてくださったのではありません。
そのような恵みは私たちにも同じように与えられているのです。
このことを「私のために」というこの短い言葉は意味しています。
私たちは皆罪人であり、
アダムはその罪によって私たち皆を腐敗させ、
神様の怒りや裁きや永遠の死を受けるのが当然の存在にしてしまいました。
それと同様に、キリストは、
私たちを義とするために、
私たちの罪のために死んでくださいました。
キリストは、前からすでに義である者たちを義とするために死なれたのではなく、
貧しい罪人を助けて彼らが義とされ、
神様の友、神様の愛する子供になり、
天国を継ぐ者となるために、死んでくださったのです。
 
(「義とされる」というのは「神様に受け入れられる存在になる」ということです(訳者注)。)