2025年2月27日木曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」8章31~32節より「真の自由」

「真の自由」

もし私の言葉のうちに留まるならば、

あなたがたは真に私の弟子であり、

真理を知るようになります。

そして真理はあなたがたを自由にします。

(「ヨハネによる福音書」83132節より)

 

アメリカのある大学の正門の上には

「あなたがたは真理を知るようになり、

真理はあなたがたを自由にします」

という言葉が刻まれています。

 

知識は人を自由にするのでしょうか。


残念ながら、最高の知識にさえそれは不可能です。

大学の教える「真理」は

優秀な法律家や技術者や教師などを生み出しはしますが、

誰ひとり自由にすることはできません。

 

私たちが神様の御言葉に留まるとき、

御言葉の真理だけが私たちを真に自由にしてくれます。


「罪のくびきから私たちはあがなわれた」

とこの真理は宣言します。


「救い主を信じることによって

私たちは救い主と共に神様の富の継承者となっている」

とこの真理は確言します。


この真理が私たちの問題を解決し、

人生のストレスを軽減し、

恐れと疑いから助け出してくれます。


この真理は私たちを

律法と罪と死の恐怖に隷属する状態から解放して、

「神様の子たち」という栄光に満ちた自由へと導いてくれます。

 

(祈り)

光の父よ、

「上から来る知恵」をどうか私たちにお与えください。

それによって、

私たちがあなたの御言葉を正しく理解して心から信じるようになり、

また御言葉を口で告白してそれに従って生きていけるようになるためです。

アーメン。

(関連聖句)「イザヤ書」55111

 

2025年2月21日金曜日

「力なき者に力を」「エフェソの信徒への手紙」2章19節「私たちの国籍」

「私たちの国籍」

ですから、あなたがたはもはや異国人でも宿り人でもなく、

聖徒たちと同じ国籍の者であり、神様の家族の一員なのです。

(「エフェソの信徒への手紙」219節)

 

国籍は大切な事柄です。

この世での国籍と祖国は私たちに一時的に与えられているものです。

私たちはこの人生においては異国人であり宿り人だからです。

国籍の問題は神様の御国においては事情が異なります。

そこではキリストが永遠に支配しておられます。

 

聖なる洗礼を通して私たちはこの御国の国民になります。

私たちはイエス・キリストの尊い血によって

罪と死と悪魔の支配とから買い戻され、解放されたのです。

この方を通して私たちには天の御父様との絆があり、

キリスト信仰者同士にも絆ができます。

 

この天の御国において私たちは神様の御言葉に聴き従います。

神様と隣り人とを愛します。

この国籍と絆とは死でさえも私たちから奪い去ることができないものです。

私たちの王は最後の日に

「私の父から祝福される者たちよ、来なさい。

この世の基が置かれた時以来あなたがたに用意されてきた御国を

「自分のもの」として所有しなさい」

と言ってくださいます。

 

(祈り)

愛する主イエス様、

私があなたに導かれて旅に出て、

またあなたに導かれて旅を終えるようになるために、

あなたの死のゆえに洗礼において始められたあなたのみわざを

どうか成し遂げてください。

アーメン。

(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」13

2025年2月7日金曜日

「力なき者に力を」「ローマの信徒への手紙」8章35節より「今日も安全」

「今日も安全」

 誰がキリストの愛から私たちを引き離すというのでしょうか。

(「ローマの信徒への手紙」835節より)

 

強力な新兵器に囲まれて現代の私たちは生きています。

長距離ミサイルや何千発もの核兵器は

全地球を破壊し尽くす威力を有しています。

私たちの未来はきわめて不確かなものです。

たとえ「そんなに暗くはないかもしれない」と思える時があったとしても、

この事実は変わりません。

 

主の使徒の言葉は暗闇の中で輝く光です。


「高いものも深いものも、その他どんな被造物も、

私たちの主キリスト・イエスにおける神様の愛から

私たちを引き離すことは(これからも)できません」

(「ローマの信徒への手紙」839節)


全能の神様が守ってくださるので、

いかなる破壊兵器も私たちに害を及ぼすことができないのです。

 

神様は恐るべきエネルギーを帯びた雷や地震を引き起こされますが、

夏の気持ちのよい雨も降らせてくださいます。

自然界の力を支配するお方は、恐るべき戦争の只中でも、

御自分の子どもたちの最善となるように見張っておられます。

 

私たちの安全は

この世の支配者や平和のための会議や発明された兵器の中などにはありません。

私たちを守ってくださるのは永遠なる神様なのです。

神様は私たちの罪ののろいを取り去るために愛する御子をこの世に遣わし、

福音と信仰を与えてくださいました。

現代の兵器や破壊的なエネルギーがどのようなものであろうとも、

私たちは主イエス様にあって敢然と勝利を収めることができるのです。

 

(祈り)私の魂、私の体は、私の主よ、あなたのものです。

ですから「御自分に属するもの」を見つけ出してください。

あなたの守りの中にいる私は恐れません。アーメン。

(関連聖句)「詩篇」139114

2025年1月31日金曜日

「力なき者に力を」「イザヤ書」9章5節より「世を統べる方」

「世を統べる方」 

ひとりの子どもが私たちのために生れました。
ひとりの男の子が私たちに与えられました。
支配権はその肩の上にあります。

(「イザヤ書」95節より)

 

ここで預言者イザヤは彼からみて未来に起きる出来事を明かしています。

飼い葉桶で眠る赤子についてです。

この赤ちゃんはほかの子どもとちがっているようには見えません。

にもかかわらず、預言者はこの子に神様の王権を表す名前を与えて、

この子の肩の上に支配権があることを宣べ伝えています。

 

この予言は実現しました。

神様の御子イエス様があがないのみわざを成し遂げられたのです。

今やイエス様は

「私には、天においても地においても、一切の権威が授けられました」

と言っておられます(「マタイによる福音書」2818節より)。

 

何百万人もの臣民を従える支配者たちは今までにも大勢いました。

平和のままか、それとも戦争になるか、は彼らの一存で決まりました。

しかし彼らの権勢が続いたのはごくわずかの間だけでした。

いずれ彼らは権力の座から追い落とされ、死が幕引きをしたのです。

 

彼らには神様が許された分だけの権力が、

神様が設定された時間内でのみ与えられました。

権力者たちは主とそのメシアに反抗を試みましたが、まったく無駄なことでした。

 

イエス様は永遠の王であられ、私たちはイエス様の臣民です。

洗礼と信仰を通して、私たちはイエス様の御国の中にいます。

この御国は負けそうになっているように見えることがしばしばあります。

しかし私たちの主キリストは世を統べておられ、勝利なさるのです。

そしていつかは、あらゆるものが主の御前にひざまずいて、

めいめいの舌(あるいは国語)が

「イエス・キリストは主です」

と告白することになります(「フィリピの信徒への手紙」21011節より)。

 

(祈り)もろもろの世界を統べる方よ、

私たちが喜んで自らあなたにお仕えできるように、

どうか私たちの心と命のことも支配なさってください。

アーメン。

(関連聖句)「イザヤ書」917

2025年1月20日月曜日

「力なき者に力を」「マルコによる福音書」6章50節より「心安らかに」

「心安らかに」


イエスはすぐ彼らに声をかけて

「安心しなさい、私です、恐れてはいけません」と言われました。

(「マルコによる福音書」650節より)

 

夕方になって、イエス様は弟子たちに

ゲネサレト湖の対岸に渡るようお命じになりましたが、

御自身は祈るために山に退かれました。

強い逆風の中で悪戦苦闘していた弟子たちは、

夜明け頃イエス様が水の上を歩いて彼らの傍らを通り過ぎようとされるのを

目にしました。

すっかりおびえた弟子たちに対して、イエス様は

「安心しなさい、私です、恐れてはいけません」と言われました。

 

疑いと恐れにとらわれている弟子たちのもとにイエス様は来られました。

ちょうどそのような状態の中にいる私たちのもとにも

イエス様は来てくださいます。


人生の逆風の中に姿をあらわされるイエス様を見分けるのは

容易ではありません。

それゆえ、イエス様は「私です」と言われるのです。

この方は荒野で私たちの心と身体を養ってくださったのと同じイエス様です。

 

このイエス様が毎日私たちと共にいてくださいます。

イエス様は私たちの罪を赦し、

私たちをあらゆる不正から清め、新しくし、

あらゆる悪から守り救い出してくださいます。

 

イエス様は、

御自分の栄光を現された輝きの山でも、

嵐の夜の逆風の中でも、

同じように御自分を啓示してくださいます。

イエス様は、平和を宣べ伝える忠実で愛に満ちた救い主です。

イエス様の御声を、私たちは今日もまた聴くことができます。

 

(祈り)主イエス様、

私たちが試練に耐え、信仰の中で守られて、

あなたと共に穏やかな岸辺に到着できるように、

どうか私たちに安らいだ心をお与えください。

その岸辺で、私たちはあなたのことをよりよく知り、

より輝きを帯びて感謝することでしょう。

アーメン。

(関連聖句)「マルコによる福音書」63056

2024年12月5日木曜日

「力なき者に力を」「ヨハネによる福音書」1章14節より「イエス様はこのようなお方です!」

「イエス様はこのようなお方です!」

 

このお方は恵みと真理に満ちていました。

(「ヨハネによる福音書」114節より)

 

イエス様が人となられたことには何の華やかさもありませんでした。

しかしイエス様は恵みと真理とに満ちておられました。

 

これは愛の言葉です。

それは私たちに、

どのようなイエス様を私たちがいただいているか、

はっきり示しています。


この言葉は神様の心から直接に出てきたものです。

肉(すなわち人間)となられた御言葉そのものであられるイエス様は

恵みに満ちておられるお方です。


イエス様は、

本来なら愛を受けるのにふさわしくないはずの者たちのことを

愛してくださったし、今も愛しておられます。


また、本来なら罰するべき者たちを赦して、

御自分を捨てた者を抱きしめてくださるのです。


恵みとはそういうものであり、イエス様とはこういうお方なのです!

 

イエス様は人々の罪が受けるべき裁きを軽くはなさいません。

しかしその一方で、

イエス様は重大な罪に対しても完全な恩赦をもたらしてくださるのです。

イエス様は、ただ数人にとってではなく、すべての罪人にとっても、

はっきりと目に見える恵みそのものです。

イエス様は私たちのすべての罪をその身体に担われて

十字架へと運んでくださいました。

 

イエス様は真理に満ちています。

真理そのものなのです。

イエス様は「真理とは何か」という

人間が大昔から抱いてきた疑問に対する答えです。


イエス様は決して裏切りません。

イエス様の御言葉はひとつとして無に帰することがありません。

成就しないままで終わる約束はひとつとしてありません。

私たちはイエス様を信頼することができます。

生きる時も死ぬ時もイエス様の御言葉を信じてよいのです。

 

私たちが罪に責め立てられるとき、

私たちには恵みと真理に満ちた救い主がおられることを知っているのは

言い表せないほどの慰めをもたらします。


希望が無に帰するとき、

また苦境に立たされているとき、

そんな時にも私たちは安全なのです。

 

(祈り)主よ、

あなたの恵みが私のすべての罪を覆い、

あなたの真理が私の人生を導いてくださいますように。

アーメン。

(関連聖句)「ヨハネによる福音書」11428

2024年11月28日木曜日

「力なき者に力を」「箴言」11章13節より「中傷する者」

「中傷する者」

人を中傷して歩き回る者は秘密を言いふらします。 

(「箴言」1113節より)

 

「黙っているべきことを言いふらしたい」

という罪深い欲望が多くの人にはあります。

家庭には他人に話したくないような内輪の心配事がよくあるものです。

気が緩んでいるときに家族の誰かが

それを信頼できるはずの友人に打ち明けてしまう場合もあるでしょう。

そして、この友人は信頼を裏切って、

それについて公けに噂話をしたりします。

これは聖書が警告している罪です。


「民の間を、人を中傷して歩き回ってはならない」

(「レビ記」1916節より)。


皆さんの中には

「隣り人について偽証してはならない」というモーセの第八戒を

覚えておられる方も多いのではないでしょうか。

 

中傷者を支配しているのは真理の御霊ではありません。

ある人々の秘密をもらす中傷者には彼らに対する愛が欠けています。


「霊に忠実な者は事を隠します」

(「箴言」1113節より)。


愛は多くの罪を覆います。

しかしまた愛は中傷の罪を叱責するのです。

 

大いなる中傷者であるサタンは

神様の御前でキリスト信仰者たちを絶えず批判し責めて続けています。

しかし、私たちには

さらに大いなる応答者なる主イエス様と

弁護者なる聖霊様が共にいてくださいます。

ですから、

私たちもまた「隣り人の弁護者」となるべきではないでしょうか。


罪を弁護することは許されません。

しかし、人が罪を犯してしまったならば、その人を抱き起こしましょう。

また、隣り人を偽りの告発から弁護し、

物事をできるだけ好意的に説明するようにしましょう。        

 

(祈り)主イエス様、

あなたは私たちの欠点を容赦し、

私たちの間違いを正してくださいます。

私たちもそれと同じようことを隣り人たちに対して行っていけるように、

どうか助けてください。

話すべき時に話し、黙すべき時に黙すことができるように、

どうか助けてください。アーメン。

(関連聖句)「ヤコブの手紙」3510