「再び見い出された者」
この私の息子は死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったのですから。
(「ルカによる福音書」15章24節より)
ある子どもが森で迷子になり、
しまいには草むらに眠り込んでしまいました。
父親がその子を見つけて抱き上げました。
「お父さん、やっと私を見つけてくれたんだね」
とその子は言いました。
私たちと神様との関係についても同じように考えることができます。
私たちはこの子どものような迷子です。
私たちは神様を探しています。
しかし、実は神様のほうこそ、私たちを捜しておられるのです。
私たちは神様を見つけられませんが、
神様のほうで私たちを見つけてくださるのです。
「あなたがたが私を選んだのではなく、
私があなたがたを選んだのです」
(「ヨハネによる福音書」15章16節より)。
このことと関連してイエス様は「ルカによる福音書」15章で、
いなくなった羊と、なくなった銀貨と、放蕩息子についての譬を
語っておられます。
アダムとエバを楽園で捜された時以来、
神様は私たちのことも捜し続けてこられました。
父親の心は常に放蕩息子を捜していたのです。
お腹をすかせたこの放蕩息子はとうとう最後に、
「立って、父のもとへ帰ろう」(「ルカによる福音書」15章18節より)
と言いました。
父親の善良さが放蕩息子を悔い改めへと導きます。
神様は憐れみ深いお方です。
魂を養う食べ物や、裸の恥を隠す衣服や、この世的な生きかたでは
決して知ることができない喜びを、
神様は私たちに賜るために用意してくださっています。
いなくなっていた者が見つかるとき、
天の御国の天使たちも一緒に喜ぶのです。
天の父なる神様の御許に戻ろうとせず、
イエス様よりもこの世のもののほうを愛している人々についても、
イエス様は語りかけておられます。
天の御父様が私たちを招待し待っておられるときに、
わたしは御許に行くのを躊躇しないようにしましょう。
天の御父様に
「私の子どもが再び戻ってきた」
という喜びをお返しいたしましょう。
(祈り)愛する天の父なる神様、
たとえ私たちが不実であっても、
あなたは忠実なお方です。
あなたの御許からもう迷い出ていかないように、
どうか私たちを助けてください。
アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」15章11~24節