「豊かな人生」
もしも子であるならば、相続人でもあります。
私たちは神様の相続人として、
キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしているのですから、
キリストと共同の相続人でもあるのです。
(「ローマの信徒への手紙」8章17節)
多くの人にとって人生は疲れる仕事の単調な繰り返しにすぎません。
どの日も似たようなものです。
いつも同じような仕事ばかりで、やる気を失います。
休みの日にもあまり変化がありません。
人生は単調で、死は怖いものに思えます。
イエス・キリストへの信仰の中で生きることが、この単調さを打ち破ります。
私たちは神様の子どもとして、
仕事も自由時間も、神様の栄光となるように活きていきたいと願います。
ささやかな生活環境の中で、ごく目立たないことがらにおいても、
私たちは天と地の主に仕えたいと望みます。
この考えかたはこの世の一般的な人生観を根本から揺るがすものであり、
日常生活にも輝きを添えてくれるものです。
そして死さえもが輝きを帯びてきます。
キリスト信仰者にとって死は永遠の命への扉だからです。
私たちは相続人なのです。
キリストと共同の相続人としてキリストの栄光を継ぐことができるのです。
これと比較するならば、
この世のあらゆる栄華は薄暗く、
見るに耐えないほど醜いものであるとさえ言えます。
神様の子どもたちにはこの世で多くの苦しみが伴います。
しかし彼らは使徒と共にこう言うのです、
「今の苦しみは、
やがて私たちに明らかにされることになる栄光に比べれば
取るに足りないものだと私はみなしています」
(「ローマの信徒への手紙」8章18節)。
(祈り)愛する天の御父様、
あなたが私たちを聖徒たちが光の中で受ける相続分にあずかるのに
ふさわしい者としてくださったことを感謝します。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」8章14~18節