「誰が義人なのか?」
義人は苦悩から救われます。
(「箴言」11章8節より)
本当はそうではないのに「自分は義人だ」と思い込んでいる人々がいます。
周囲が「彼らは正しい人だ」と言いはやすので、
彼らは「そうだ、自分は神様の御前でも義人なのだ」
と思い違いをしてしまうのです。
しかし生れつき義人であるような人は存在しません。
私たちは皆、罪深い存在だからです。
「「自分の義」なるものは汚らしい衣に過ぎない」
と告白する人たちだけが「義人」なのです。
それゆえ、すでに洗礼を通して上から被せていただいた「キリストの義」を
彼らは信仰によって「自分のもの」としたのです。
彼ら自身は他の人々と比べていささかも優れているわけではありません。
しかし彼らだけが
「イエス様は私の上に救いの衣を着せて義のマントで覆ってくださっています」
と信仰告白できるのです。
彼らは罪に起因する苦悩から救われています。
今、彼らはイエス様における罪の赦しのゆえに「義」とされています。
彼らは律法の呪いから解放されました。
キリストが彼らの身代わりに「呪い」となってくださったからです。
彼らは死の苦悩から解放されました。
キリストがすべての人の身代わりに死の苦痛を味わい尽くされたからです。
彼らは地獄の苦しみから解放されました。
「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある人々は
罪の裁きを受けることがない」からです(「ローマの信徒への手紙」8章1節)。
私たちは苦悩から救い出されているのです。
(祈り)主イエス様、あなたが私たちを水で洗い(洗礼を授け)、
御言葉を通して染みや皺のない者として
御父様の御前に据えてくださったことをあなたに感謝します。
あなたが私たちをこの人生の終わりまで、
あなたの義に包まれている者として信仰の中に保ってくださることを感謝します。
アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」3章19~28節