2024年3月14日木曜日

「力なき者に力を」「ヨハネの第一の手紙」5章11節「永遠の命」

「永遠の命」

 その証とは、

神が永遠の命を私たちに賜わったことと、

その命が御子のうちにあるということです。

(「ヨハネの第一の手紙」511節)

 

神様は聖なる御言葉を通して私たちに語りかけてくださいます。

言葉にはできないほどの愛をもって、

神様は私たちがイエス・キリストにある永遠の命を信じるようにと

望んでおられるのです。

そしてこれが一番大切なことです。


もちろんこの神様の証がなくとも、

人はこの世で生きていくことはできます。

しかしこの証を欠いては、

天の御国に入ることはできません。

 

私たちは過去の世代の伝統や慣習がなくても

生きていくことができます。

しかし御子キリストについての神様の証がなくては、

私たちは来るべき楽園を失ってしまうのです。


使徒パウロは

「私の主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに

私はすべてのものを損失とみなしています。

キリストのゆえに私はすべてのものを損失しましたが、

それらのものをゴミ同然のものとみなしています」

とさえ言い切っています(「フィリピの信徒への手紙」38節より)。

 

永遠の命は、作り話や夢などといった、

来世への願いから人間が勝手に拵えたものではありません。


永遠の命とは、

イエス様がゴルゴタで成し遂げられた「真理」についての

神様御自身による証であり啓示なのです。

「真理」とは

神様の御子イエス様が罪なき義人として

私たち罪人たちの身代わりとなって十字架で死んでくださったということです。

 

自らの罪深さのゆえに死ぬという「死刑判決」を受けた全人類に対して

「永遠の命」という賜物がイエス様の御業のゆえに

信仰を通して受け取れるものとして約束されています。


これは人間の勝手な「発明」などではありません。

人の心に思い浮びもしなかったことを、

神様が御霊を通して啓示してくださったのです。


私たちも是非ペテロと共に

「主よ、私たちは(あなたを離れて)誰のもとに行けましょうか。

あなたが永遠の命の言をもっていらっしゃるというのに」

(「ヨハネによる福音書」668節)と信仰告白しましょう。

  

(祈り)イエス様、嵐に打たれないように

どうか私を御言葉の中に保ってください。

たとえ重苦しい夜が来たとしても

御言葉の中で私は守られるからです。

アーメン。

(関連聖句)「ヨハネの第一の手紙」5913