「疑いと警告標識」
「来るべき方」はあなたなのですか。
それとも他の誰かを待つべきなのでしょうか。
(「マタイによる福音書」11章3節)
キリストを疑う心に悩まされるのはひどく恐ろしいことです。
私たちはすべてにおいて完全にキリストに依存している存在だからです。
この方は私たちの救い主であり助け主です。
しかし、もしもこれが本当ではなかったとしたら?
福音がたんなる作り話や神話だったとしたら?
キリスト信仰者であっても
時にはこのような疑念をもつことがあるのではないでしょうか。
衝撃的な体験、
担うのが苦しい人生の十字架、
読んでしまった不信仰な書物、
友人の魅惑的な言葉などが、
あなたを疑いの沼に突き落とすことがあるかもしれません。
洗礼者ヨハネはキリストに
「「来るべき方」はあなたなのですか。
それとも他の誰かを待つべきなのでしょうか。」
という質問状を送りました。
おそらく彼は自分の弟子たちのことを考えてこの質問をしたのでしょう。
どのようにして彼らは信仰の確信を再び取り戻すことができたのでしょうか。
それは彼らがイエス様の御許に参ったからです。
質問者に対してイエス様は
実に御自分が旧約聖書で到来が預言されていたメシアであり
世界の救世主にほかならないという最も確実な証を示してくださいました。
人から信仰の疑いを取り除くことができるのはイエス様だけなのです。
疑いは警告標識です。
それは、疑いを抱く人に対して、
聖書の御言葉の中により深く入っていき
イエス様の十字架にもっと近づいていくようにと促します。
十字架上で死に、三日目に死者たちの中から復活なさったイエス様は
その刺し抜かれた御手を私たちに見せて
「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言っておられます。
その時に私たちは「私の主、私の神様!」と答えることができます
(「ヨハネによる福音書」20章27~28節より)。
(祈り)暗闇に取り囲まれる時には、
どうか光から生まれた光そのものであるあなたが来られて
御自分の栄光を再び私たちにお示しくださいますように。
アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」11章2~10節