2023年11月10日金曜日

「力なき者に力を」「ガラテアの信徒への手紙」6章7節「堕落か、祝福か」

「堕落か、祝福か」

惑わされてはいけません。

神様は侮られるような方ではありません。

人は自分の蒔いたものを刈り取ることになるからです。

(「ガラテアの信徒への手紙」67節)  

 

この法則を別の法則に変更することはできません。

人は皆、蒔いた物を刈り取ることになるのです。

 

私たちの生活もこれと同じです。

自分が考えること、言うこと、行うことが「蒔かれる種」にあたります。

そして、それに応じた「実」を刈り取ることになります。


悪い考えは悪い行いを生みます。

口に出してしまった言葉はもう引っ込めることができません。

悪い言葉は悪い実を結びます。

肉の欲望に従って生きるとき「堕落」という実を刈り取ることになります。

 

それに対し、よい種はよい実を結びます。

神様の御言葉の活きた種が蒔かれると「永遠の命」という実を結びます。


それと同様に、人間の話す言葉も、よく言われるように、

金のリンゴのようなものにもなりえるのです。

葉によって私たちは、隣り人たちを癒したり傷つけたりします。

言葉は悲しみも生むけれど、涙をぬぐってもくれます。

 

「私は主なる神様の語られることを聴きたいのです。

主はその民、その聖徒に平和を語られるからです」(「詩篇」859節より)

という主の御言葉にしたがって自らの生き方を正していきましょう。

それによって私たちは平和と命の言葉を

隣り人たちに伝えることができるようになります。


キリストへの信仰の中で新たにされる時、私たちはよい種を蒔きます。

いつしかその種から善い実を刈り取ることができるようになり、

それを通して、神様は栄光をお受けになるのです。

 

(祈り)

この世で無益なことのために蒔いた種は

時が経つと消え失せてしまいます。

しかしたとえ他のすべてが消えても、主の平和だけはなくなりません。

そして、この賜物を求める者は永遠の宝を手に入れるのです。

アーメン。

(関連聖句)「ルカによる福音書」12638