「自らの罪を知りなさい」
私は自らの罪過を知っています。
私の罪はいつも私の前にあります。
(「詩篇」51篇5節)
「私はもういなくなったも同然だ!」
とある男の人がすっかり気落ちした様子で嘆きました。
それを聴いた助言者は「そうなんですか。神様に感謝します!」と答えました。
「どうしてそんなことを言うんですか?」とその人は聞き返しました。
それに対して
「人の子はいなくなったものを探して救うためにこの世に来られたからです」
という答えが返って来ました。
救い主の大いなる愛と恵みを見られるようになる前に、
私たちはまず自らの罪の大きさを見つめなければなりません。
ダヴィデは自らの罪を見つめることを学びました。
「私は自らの罪過を知っています。
私の罪はいつも私の前にあります」
と彼は嘆きました。
自らの悪い行いの罰から逃れるために、彼は神様に祈るほかなかったのです。
私たちの罪も重苦しいほど大きいものです。
神様は私たちが罪深さを自覚して告白するようになさいます。
私たちは、
自らの罪の重荷が取り除けられて、
イエス・キリストがそれを代わりに担ってくださっていることを
神様に感謝いたします。
イエス様が私たちの罪を底知れぬ赦しの海の底へ沈められたので、
それらが再び浮上して私たちを責め立てることはもうできなくなりました。
「御子を信じる者は裁かれない」と神様はきっぱり言い切っておられます。
イエス様の御業のおかげで、
神様は私たちの罪をもはや思い起こすことがなくなりました。
イエス様の血が私たちをあらゆる罪から清めてくださるからです。
私たちが今できることは、
言葉に言い表せないこの恵みを感謝しつつイエス様を賛美することだけです。
(祈り)主よ、あなたに感謝します。
あなたは私にお怒りになりましたが、
それを鎮めて私を慰めてくださったからです。
アーメン。
(関連聖句)「詩篇」51篇1~12節