「疲れた人に力を」
エリヤは一日分の道のりほど荒野に入って行き、
ハリエニシダの木の下に座し、
自分の魂に死を求めて言いました、
「主よ、もう十分です。
私の命をお取りください。
私は父祖たちにまさる者ではありません」。
(「列王記上」19章4節)
エリヤはすっかり疲れ果ててしまい、
働き続けようとしてもその力がもう残っていませんでした。
仕事で疲れること自体はよいのですが、
仕事にうんざりしてしまうのは危ないことです。
肉体や精神を行使する労働は有益ですし、神様の御心にも適っています。
イエス様も働き疲れたときには休息なさいました。
そして弟子たちを閑散とした場所に連れて行って休ませてくださいました。
イエス様は働き疲れた人々を休ませるために御許に招かれるのです。
時として私たちは預言者エリヤのように
自分自身の仕事や人生に飽き飽きしてしまうことがあります。
生活の心配を抱えた父親や母親も、
それと同じような思いをすることがあるでしょう。
牧師や教師も、困難な状況の中でいろいろとうまく行かずに、
やる気を失う場合があるでしょう。
若者の場合には、人生の重圧という試練にあうことがあるかもしれません。
しかし今、私たちは
この世のハリエニシダの木の下に座っているだけではいけません。
ゴルゴタの十字架のもとで憩うべきなのです。
イエス様に十字架の死に至る苦しみを肩代わりさせたのは私たちです。
イエス様は私たちのために疲労なさったのです。
しかし、イエス様は贖いの御業に倦むことがありませんでした。
イエス様はそれを終わりまで成し遂げられ、
その成果として私たちに永遠の救いを用意してくださったのです。
聖霊様はこう言われます、
「あなたがたは魂が疲れて弱り果ててしまわないために、
御自分に対する罪人たちのこのような反抗を耐え忍んでくださった方のことを
思いみるべきです」(「ヘブライの信徒への手紙」12章3節)。
イエス様は疲れた人々に力を与えてくださいます。
(祈り)イエス様、私が疲れきって希望を失ったりしないように、
あなたのなかで休むことを覚えさせてください。アーメン。
(関連聖句)「列王記上」19章1~8節