「キリストの支配」
主イエス様は彼らに語り終ってから、天にあげられ、神様の右に座られました。
(「マルコによる福音書」16章19節)
「神様の右に座る」というのはどういう意味でしょうか。
イエス様御自身が予言してこう言っておられます、
「人の子は今からのち、力ある神様の右に座するでしょう」
(「ルカによる福音書」22章69節)。
この比喩的な表現をルターは巧みに説明しています。
「「私の右側に」(「詩篇」110篇1節より)という言葉は
イエス様が父なる神様と対等なお方であることを表しています。
というのは、
イエス様が座られている場所は神様の上でも足元でもなく、
イエス様と同等のお方、父なる神様の右側だからです。
それゆえ、
天はイエス様の玉座であり、地はイエス様の足台なのです
(「使徒言行録」7章49節より)。
イエス様が言われている通りに
「私には、天においても地においても、すべての権威が与えられています」
(「マタイによる福音書」28章18節より)ということです」(ルター)。
すべてを支配なさっているこのような全能の救い主がおられるのですから、
私たちは何も恐れを抱く必要がありません。
救い主はあなたの世話をしてくださいます。
怖がったり、慌てたりしないようにしなさい。
救い主はあらゆる悪から救い出してくださいます。
イエス様はあらゆる悪の攻撃を阻止してくださいます。
あなたが死ぬ時がきたら、
イエス様はあなたをこの嘆きの谷から天国へと引き取ってくださいます。
そうして、あなたもイエス様がおられるところにいるようになるのです。
それなのに、
あなたはどうして悲嘆したり心を騒がせたりしているのですか。
(祈り)どうか今、私の信仰を強め、私の希望を支えてください。
旅人の私をあなたが導いて運んでくださらなければ、私にはもう力がないのです。
あなたの恵みによってのみ、私はその希望の地、喜びの地を見ることができます。
アーメン。
(関連聖句)「エフェソの信徒への手紙」1章15~23節